読書感想:メタバースとは何か~ネット上の「もう一つの世界」
最近、メタバースが話題になっています。本書はインターネットの歴史とか、サブカルチャーとか、かっての仮想世界との比較などから「メタバース」を解説しています。
Kindle Unliited対象の本を先月からよく読む様にしていますが、その新着リストに本書が出てきたので読んでみました。調べてみると、本書の書籍版は2021年1月18日発売で、これを書いている時点では未発売でした。ただ、Kindle版は2020年12月24日発売で、Unlimited対象になっているという不思議なことになっています。
メタバースとは
疑似現実と仮想現実
所謂Virtual Reality(VR)を指して仮想現実と訳していますが、本書では仮想現実は実は疑似現実と仮想現実の二つあるとしています。この視点はちょっと面白いです。
自分は日本人なので日本での事情しか知らないのですが、海外の多くの国はVRと言えば現実の延長の世界なのだとか。ところが、アニメ、コミック文化の日本では仮想現実が必ずしも現実の延長ではなく、ファンタジー世界や異世界も仮想現実の範疇になること。これ本当なのかよくわかりませんが。
この様にあくまで現実をベースにしているものと、現実をベースにしていないものの2つがあります。これを本書では前者を疑似現実、後者を仮想現実と呼んでいます。そして、海外でもメタバースをきっかけに疑似現実ではない仮想現実が受け入れられていくのではないかとしています。なお、この疑似現実を本書ではミラーワールドとも呼んでいます。現実を仮想世界にコピーしたものをデジタルツインと呼びますが、そのデジタルツインと現実が相互に同期している世界をミラーワールドと呼ぶそうです。例えば、デジタルツインの仮想世界で現実のビル群でどういうふうにビル風が吹くか計算したりしますが、それが現実に吹いている風を元に仮想世界に風が吹いたり、天候が変わったりするだけでなく、仮想世界での何かのアクションが現実世界のアクションにつながる様なものを指す様です。
自由と平等
本書でたびたび出てくるのが「自由と平等は食い合わせが悪い」というフレーズです。日本では一般的には自由と平等はセット扱いになっているかと思いますが、本書では相反するものとしています。
自由には責任が伴い、それぞれが自由にできるということは、平等ではなくなるとしています。個性とか多様性とかが幅を利かすようになってだいぶ経ちますが、そういう自由の強制の結果、格差や不平等が生まれているとの論です。まあ、わかる部分もあります。システム系小会社に勤めていた時代、別にスーツにネクタイで出社する必要は必ずしもありませんでしたが、自分はずっとそういう格好で出社していました。私服とかでコーディネートとかって面倒だし、スーツならずっと同じの着ていても問題になりませんし。
自分の学生時代は中学も高校も皆同じ制服でしたが、今は制服がないところとか、制服と私服を選べるとか色々あります。自由だ個性だというのは「持っている人」にとっては良いが、「持たざる人」には格差を産むというのが著者の主張の様です。制服が決まっていれば、皆が同じ服を着ているのである意味で平等ですが、制服がなくて私服となれば、嫌でも差異が出てきます。つまり、平等に好きな服を着ることができるという意味で平等ですが、その結果可視化されるセンスとか、貧富とかは不平等を如実に物語ってしまうという話です。
ですので、自由と平等は食い合わせが悪い、と。
それがメタバースとなんの関係があるのか?となるかとは思います。そういう、自由、個性という「不自由」からの逃避先が仮想現実であり、メタバースであるという話につながります。そして、今後、その逃避先である仮想世界なりメタバースなりで収入が得られるのであれば、そこの世界だけで生きていくことも可能ではないか、という話につながります。
実際、仮想世界で収入を得る話については本書ではあまり触れていませんが、現実に仮想世界での土地取引やNFTアート、NFTトレーディングカードといった分野が既に現実になっており、それだけで生きていけるかは別として、稼ぎを得ること(=現金化できること)が可能になっています。まあ、いわゆるポイ活で何万円も稼いでいる(何万円分かの商品、サービスを手に入れいている)方もいますので、それと似た様な話です。実際、ゲームという名目で動画を見ることでポイントとして仮想通貨を得るというアプリもあります。これをメタバースと呼ぶかは審議が必要になりそうですが。
GAFAMとメタバース
1章使ってGAFAM各社のメタバースへの取り組みを取り上げています。一番、今、世の中にアピールしているのは社名をMetaに変えた旧Facebookです。本書ではインフラを持たないが故の焦りと見ている様です。本書でも触れられている通り、iPhoneのプライバシー規約に振り回されたりとか、GAFAMの中でも割と身近な割に核となるものがFacebookとInstagramのみで、すでにFacebookは斜陽、Instagramもいつまで主流でいられるか、という状態。実際、Z世代はすでにインスタでもないでしょう。
ある意味この章が本書で一番なるほどと思うところでした。
メタバースは次世代インターネットではない
これについては、著者もそう書いていますし、自分もそう思っています。が、なにやらやたらとメタバースが次世代インターネットであるという主張を見かけます。
おそらく、そう主張している方々の言っている「インターネット」は今ネットで普通に使える各種サービスを指しているのかと思います。本書ではインターネット登場時のアプリケーションとしてメールとブラウザ、その次としてTwitterやFacebook等のSNS、そして次がメタバースとしています。メタバースが次世代インターネットという方の主張もおそらくそういうことかと思います。まあ、昔はWebサイトを閲覧することを「インターネットする」と称していたので、その流れでしょうか。
一方で、インターネットに関わっている人間から見れば、インターネットは各社、団体、組織のネットワークを相互に接続したものであって、そこで提供されるサービスやアプリケーションではありません。著者もネットワークエンジニアの経験があるそうで、捉え方としはこちらになります。まあ、一般人から見れば、どっちでもいいよとなるでしょうけど。
残念な点
本書ではメタバースの世界でも、現状のGAFAMやSNSの様に一部の企業が独占、寡占すると見ています。つまり、Web3.0的な視点がないようで、そこの部分が残念です。
自分も詳しくはないのであまり偉そうなことは書けません。Web2.0という単語が出て久しいですが、今はWeb3.0が台頭しつつあるそうです。すごく大雑把に言えば、Web2.0はGAFAMやSNSの様な一部の企業が寡占しているサービスの中で、ユーザがそれぞれ発信している状態です。所謂中央集権タイプとなります。ユーザは企業が提供するサービスやコンテンツを使うだけの存在です。
これに対して、Web3.0はそういう一部企業の寡占ではなく、ユーザ自身が主導します。もちろん、個人でできることは限度があるので、インフラのようなものを提供する企業があるのですが、そこで動くサービスやコンテンツをユーザが自由に作り、お互いに利用します。
メタバースにも、Meta社をはじめとしたGAFAM企業やフォートナイトのEpic社といったメタバースでも覇権を握ろうとする企業がありますが、そういう一部企業のサービスに依らないオープンな仕組みも出てきています。前者をWeb2.0的なメタバース、後者をWeb3.0的なメタバースとする考え方もある様です。過渡期として、その中間であるWeb2.5的メタバースが今出てきている様です。
そういう一部企業の中央集権から民主的なインターネットへの回帰の流れが生まれつつある様ですが、その辺りは本書では触れられていません。と言うか、それはうまくいかないと見ている様です。
まとめ
本書でいろいろ書かれていることの多くはなるほどなぁ、とは感じます。ただ、この本を読んで「メタバーストは何か」が腑に落ちたかと言えば微妙です。それだけ、まだメタバースがどうなるか読めないという状況なのかと思います。
例えば、本書ではメタバースを「もう一つの世界」としており、リアルとは隔絶された世界もありと見ていますが、ビジネスとしてのメタバースが果たしてそうなるか。「バーチャル渋谷」が現実に寄せすぎで、現実と比較されてしまうのでメタバースの良さを生かしきれていないと言うのは(実際にバーチャル渋谷を見たことないので断言できないですが)それはそうかもな、と思わせます。ただ、本書にもある通り、結局「メタバースが必要なのか」という部分で、本書は必要性の判断を読者に委ねており、そこで「言ってることはわからなくはないけど、必要性はあるかな?」となります。そこを本書では「(疑問に思う人は)リアルで活躍されている方」であろうとしています。いやいや、リアルなんてクソゲーと言う自分ですら、本書のいう「メタバース」が本当に逃避先として有力なのかと言えば懐疑的なのですが。
「自分に優しい世界」「都合のよい世界」を提供するサービスであり、それを欲している人がいるとの主張ですが、逆に言えばそれらを提供したメタバースの覇権企業は、どこで稼ぐのかがよくわかりません。いや、当然利用料で稼ぐでしょうが、そんなものはたかが知れています。そして、そこに入り浸って戻ってこない人がいれば、世間はそれを放置しません。必ず「問題」として「正しさ」を求めてきます。そう、ニートに対するように。いつかは著者の言うような世界が来るかも知れませんが、絶対来るとは言い切れないし、来るにしてもまだまだ先だと感じてしまいます。
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