「鎌倉殿の13人」第4回・補足
源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第4回。いよいよ頼朝の挙兵です。といっても、山木館襲撃開始というところで次週に続く、となりました。今回も主に三浦一族の視点から補足します。
相変わらず、非北条系の頼朝方諸将の扱いがひどいです。
山木館、襲撃前夜
作戦会議
冒頭のアヴァンタイトル部で、頼朝を中心に軍議が開かれます。そこで三浦義澄に対して北条時政が「年だから」とか言ってます。いやいや、三浦はこの時期、義澄の父、大介義明が健在ですから。その義明に比べれば義澄はまだまだです。
そして、石橋山の戦いの後の衣笠城の戦いでは、一族を逃した大介義明が討死します。その功として後に幕府の軍事のトップである侍所別当(長官)に三浦一族の和田義盛が就任するというのが流れです。つまり、和田氏は当然三浦の一族枠ですので、北条宗時が「三浦も和田もこちら側」というのはおかしいです。のちの13人の合議制で三浦枠で二人(義澄、義盛)入っているのを誤魔化すために、殊更に三浦と和田を別扱いにしているのかと思われます。
ちなみに三浦義澄は1127年生まれの54歳、北条時政は1138年生まれの43歳。ほぼ一回り違うので北条時政が気楽に義澄に話しかけるのはどうなんでしょうね。まあ、共に伊藤祐親の娘を妻にしている義理の兄弟であり時政の妻の方が姉の様ですので、時政から見れば義澄は義理の弟になるので、そう考えると気楽に話しかけても良いような気もします。
山木兼隆、堤信遠
今回襲撃される山木兼隆とはどんな人物でしょう。元は平氏の平時忠の元に居て、罪を問われて伊豆に流されます。それが伊豆国の山木。それで山木兼隆となります。後に政変の影響で伊豆国主が失脚したため、平時忠の後押しで伊豆の代官になりました。
今回の大河では触れられていませんが、昔は頼朝との仲を裂くために時政が政子を兼隆に送ろうとした、というのが有名です。まあ、娘である大姫の年齢から創作であるとされている様です。
そして、その後見人が堤信遠です。前回も出てきて北条家を見下していましたが、同じ地方のライバルです。ということは格としてはどっちもどっちの同程度で、北条を見下せるほどの立場ではなかった様です。まあ、平家側なのでその威を借りていたのでしょう。
つまり、頼朝を預かる北条時政と、兼隆を預かる堤信遠という、似たような立場になります。
土肥実平、岡崎義実、佐々木氏
兵集めに苦戦する頼朝方、という流れで、石橋山で頼朝方に立った武将たちが登場します。
土肥実平は第2回くらいにも出てきましたが、湯河原、早川あたりを拠点にしています。相模の豪族中村氏の一族で、毛利両川で有名な小早川氏の祖になります。早川→小早川という流れです。
岡崎は三浦一族で、義澄の叔父です。三浦半島各地に散らばる三浦一族の中では例外的に三浦半島の外の平塚、伊勢原辺りを拠点にしています。
頼朝に老人の寄合と言われた佐々木秀義とその息子である佐々木四兄弟。特に秀義は半分ボケ老人のような扱いと、北条以外の頼朝方諸将の扱いの低さが気になるところです。
佐々木一族は平治の乱で敗れた源氏と共に関東に逃れてきましたが、元は近江出身です。相模国の渋谷荘(現在の大和市、綾瀬市、藤沢市の一部)辺りが拠点です。今回、伊東祐清と大庭景親が頼朝を討伐しようとしていましたが、それを長男経由で頼朝に伝えたりとか、ちゃんと活躍しています。決して、お使いもちゃんとできないボケ老人ではありません。
秀義は平家が都落ちした後の残党との戦いで敵を討ち取りながらも戦死したとされています。その功で死後に近江権守(近江国の副長官の立場)を贈られています。
なお、秀義の最初の妻は源為義の娘です。つまり、頼朝の父である義朝の兄妹です。頼朝からすれば義理の叔父ですし、そもそも佐々木秀義は坂東武者ではありません。なんか、本大河ドラマでは頼朝の親戚筋も坂東武者も混ぜこぜに扱ってる様です。
その子の四兄弟たちは頼朝の従兄弟です。劇中では元々夕方に着く予定だったのが、秀義がちゃんと伝えていなかった扱いになっていましたが、これも本大河ドラマの脚色です。実際には洪水によって到着が遅れたが、疲労困憊ながらも駆けつけた兄弟たちに対して頼朝は涙を流して労ったとされています。元々は朝に山木館に乗り込む予定だったので、祭りに山木が行っているかどうかは本来は関係ありませんので、八重の矢文もおかしいし、夜討ちになったのは洪水の影響で佐々木兄弟が遅れたためです。
なお、劇中でも取り上げられた「お前を一番頼りにしている」は実際にあった話で、これは脚色ではないそうです。ただし、その相手は土肥と岡崎だけでなく、他にも何人か居た様です。
石橋山の戦い
石橋山の戦いについては、前哨戦の山木館襲撃から石橋山の戦い、そして由比ヶ浜の戦いまで、Wikipediaにまとめられています。
しかし、敵方である伊藤祐清の娘にベラベラ話す北条義時も、それを父親に告げたかと思えば兼隆が館にいることをそれとなく知らせたりする八重も、ちょっとゆるすぎですね。
頼朝方諸将の扱いが酷すぎないか?
面白おかしくしたいというのはわかりますが、佐々木秀義とか、こういう馬鹿にしたような描き方をするのはちょっとどうかと思います。
別に今更大河ドラマが歴史を正しく描いているとは思わないし、そうすべきだという幻想ももはや持ち合わせてはいません。ただ、ちょっと北条を持ち上げるためか非北条系の頼朝方武将の扱いが酷すぎるというか、雑じゃないですかね?
後に謀略を駆使して他の坂東武者たちを追い落とす北条一族を美化したいのかも知れませんが、そのために北条に対抗した武者たちを貶めるのは違うと思うのですが。鎌倉時代をもうちょっとちゃんと描いてくれるかと思ったのですが、北条ファミリードラマやりたかっただけなのでしょうか。
まあ、土スタかどこかで北条一族内の変化について少し語られていたので、このまま仲良し北条ファミリーで終わらないのだろうとは思います。しかし「源頼朝が平氏を討って鎌倉幕府を開きましたが、北条家が執権となって実権を握りました」という従来の浅い鎌倉時代観で今後も描かれるのであれば残念です。是非とも本当は面白い鎌倉時代を描いてほしいものです。
参考:「執念の家譜」
三浦と北条の争いについての参考書籍の紹介です。と言っても小説です。永井路子さんの「執念の家譜」です。大河では山本耕史さん演じる三浦義村の子供である三浦光村の視点から北条との争いと一族の執念について、戦国時代黎明期の三浦義同と北条早雲の新井城攻防戦(油壺の名前の由来になった戦い)まで含めて取り上げた作品です。義村も出てきます。
短編集になっていて、他に曽我の仇討ちの話や、松永久秀といった執念や裏切りをテーマにした作品が収録されています。
現在、Kindle Unlimited対象になっているので、サービス加入者は無料で読めます。
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