「鎌倉殿の13人」第35回・補足
源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第35回。今回は畠山重忠の乱の前哨戦でした。予告によると次回は合戦の様です。今回もツッコミをいつもの様に入れていきます。
恐ろしきは女子の執念
今回冒頭、表の顔では「太郎(泰時)が跡を継げば良い」と言いつつ、裏では祖父に「絶対男を産んで家督を継がせる」と豪語する伊賀の方(のえ)。北条氏を操ろうとした牧の方(りく)に被ります。どちらも結局政子によって流されてしまいますが。時政を好々爺にした都合上、北条の暗黒面を背負わされた牧の方(りく)が少し哀れに思えてきました。
畠山重忠の乱・経緯
一応「吾妻鏡」にある話は、京で平賀朝雅と畠山重保が口論になったという話は残っています。さすがに、誰が北条政範を毒殺したかということでの口論ではありませんが(そもそも毒殺なんていう話もない)。なお、吾妻鏡では使者は政範とされていますが、別の記録では時政が同行していたとあります。そうすると、実際の使者は時政ですよね。それはともかく、現場に時政がいた可能性が高いわけです。そんな場で毒殺するかという疑問はありますが、「鎌倉殿の13人」では時政は同行しないので、そこはクリアなのでしょう。
また、時政が義時と時房に相談して一度は言いくるめられていますが、実際には牧の方の兄に2人は継室の牧の方(りく)に思うところがあるから反対しているのだろうと言われて、時政の畠山討伐に同意したとされています。義時をあくまでよい人側につけたいがために、筋書きを変えたのでしょう。あくまで牧の方(りく)の口車で好々爺の時政が動いた、と。
ちなみに今回の話ではあれよあれよと話が進んだ様に見えますが、実際はそんなにすぐでもありません。
- 1204年11月4日 平賀朝雅と畠山重保の口論、および、北条政範の死亡
- 1205年4月11日 鎌倉で不穏な動きありとのことで御家人が鎌倉に集まる、一旦和解し5月3日にはそれぞれ帰国
- 6月21日 平賀朝雅が牧の方(りく)経由で時政に讒訴。重忠討伐が決定
- 6月22日 鎌倉にて重保が討たれる。二俣川で畠山重忠主従と義時軍が遭遇。重忠討たれる。
今回のラストで戦う気満々を見せていた重忠ですが、引き連れていたのは100騎を上回る程度。一方の義時率いる討伐軍は数多の御家人も参加した大軍。今回、終始豪語していたような戰のための兵ではなかったと考えられます。次回予告で勇姿を見せていた畠山重忠。一体、どのような筋書きになるのか楽しみです。
朝雅に迫る義時、えっ主筋だよ?
平賀朝雅が京に戻る(逃げ帰る)直前に義時があって、色々と詰問しています。でも、これおかしいです。前回などにも書きましたが、平賀氏である平賀朝雅は北条時政と牧の方(りく)の娘婿である以前に、源氏の一門です。さらに頼朝の猶子になっています。つまり、頼朝の義理の息子扱いです。だからこそ、京側で朝雅を執権に、という話が出てきます。「鎌倉殿の13人」ではなぜかこの事実は表に出してきませんが。
かたや源氏一門で先先代将軍の義理の子であり、一門衆筆頭の平賀朝雅。もう一方は単なる御家人で執権である北条時政の子ではあるものの一分家の江間家の当主にすぎない義時。あんなこと言える立場ではありませんよね。
謎のオババの占い
思わせぶりに登場した歩き巫女のオババ。「雪の日は気をつけろ」という不吉な占いを伝えます。はい、事実をご存知であれば例の事件のことと解ります。この時点でそんな伏線を張ってきたのですから、いざその時のシーンで回想とかで出てくるのでしょうか。
鎌倉から気軽に遠出する義時
今回のラスト、重忠と酒を酌み交わす義時。って、紀行でも出ましたが重田の屋敷は深谷だよ。義時は何かというと伊豆にもしょっちゅう出かけてましたが、この頃の鎌倉から伊豆や深谷が、気軽に行き来できる距離でしょうか。
例えば、重忠の乱では畠山重忠は深谷を6月19日に出発して、22日に二俣川で討伐軍に遭遇します。つまり、足掛け3日です。大軍を率いていたら時間がかかるというのはあるでしょうが、上にも書いたように実際には100騎程度です。まあ、徒士も居るでしょうから、おそらく馬を飛ばした義時よりは時間がかかるだろうとは言え、100km以上離れているわけです。重忠討伐で緊迫している時期に往復で少なくとも3日、おそらく4日はかかる距離を、「鎌倉殿の13人」では重役扱いの義時が遠出するかという疑問があります。
この辺、朝ドラも同じで、身重の暢子が頻繁に鶴見と銀座と杉並を往復しているのですよね。
いよいよ重忠の乱、そして牧氏事件へ
次週予告では勇ましい姿を見せていた畠山重忠。同じ失脚した身でも梶原景時とは吾妻鏡の描きっぷりも正反対です。梶原景時は悪人扱いなのに対し、畠山重忠はやたらと持ち上げて忠義の士、勇猛果敢と褒め倒しています。まあ、重忠の人望がないと、その重忠を嵌め殺しした時政の追放という大義名分を政子と義時が得られませんので。
「鎌倉殿の13人」では、どうキレイゴトで辻褄を合わせるのか楽しみです。
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