「鎌倉殿の13人」第21回・補足

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源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第21回。奥州征伐は一瞬で終わってしまい、以後は北条家ホームドラマと、悪意ある頼朝disと、実在疑惑の八重の最後でした。

暗雲立ち込める北条一族の明日はどっちだ

順風満帆に見えた北条家ですが、色々怪しい影が浮かび上がってきました。大姫は出典不明ですがいきなり自分を葵と呼び始め、八重は鶴丸を助けた後に帰らぬ身に。時政とりく(牧の方)の間に男児が生まれましたが、この子は16歳で若死する政範でしょう。時政と牧の方の間の男子はこの政範だけであり、「北条家も安泰」と政範に跡を継がせる気が満々だった牧の方の思いとは裏腹に、義時流が北条を継ぐことになります。

いきなり登場した八田知家と鶴丸の関係は?

今回いきなり登場したのが、のちの合議制の13人の一人と言われる、八田知家。13人としてはほぼ最後の方の登場になりましたが、歴史上は頼朝挙兵にも早くから参加しており、今までなぜ登場しなかったのか不思議な人物です。

俳優は30代の方が演じていますが、実は1142年生まれ。今回の話が1189年なので、47歳と割と高齢です。1138年生まれの北条時政と、1147年生まれの源頼朝、和田義盛の間になります。なんで今頃の登場になったのか不明ですが、役者の方の都合でしょうか?

その知家が八重の元に連れてきたのが鶴丸。武士である知家がその辺の農民の子を連れてくるはずはないので、なんらかの謂れがありそうですが、該当する人物がいるのかよくわかりませんでした。そもそも、八重が孤児を集めていた、なんてのも本大河オリジナルの話ですので、そちらでは後は追えないし、知家関連でもそれっぽい子供はわかりません。

今回、八重に引導を渡すためだけの役割だったとしたら、なんか唐突すぎますね。別に、預かっている他の子供がきっかけでも良かったわけですので。

いきなり登場、北条時連(時房)

こちらも今回初登場だと思いますが、小四郎の弟、北条時連。政子や義時の異母弟ですが、母親は不明です。もっとも、時政の子で母親の素性がはっきりしているのは、宗時、義時、阿波局(本大河では実衣)の母親と、今回登場した政範の母である牧の方のみです。

話を戻して時連は1175年生まれなので14歳です。兄が宗時、義時と来たのに突然時連と名付けの傾向が変わってます。「連」は烏帽子親の三浦義連(本大河では未登場)の1字をもらったものです。後に、平知康(後白河法皇の側近で丹後局と共に出てくる3人組の1人。まるでお公家さんのようですが、父親と共に北面の武士、つまり近衛兵みたいなものです)に「連」は「貫」と同じ読みでよろしくないと言われて時房に改名します。

鍔迫り合いを始める比企と畠山重忠

時政はあまり相手にしていませんが、比企能員は北条氏をあまり良く思ってない様子。牧の方が重忠に対していきなりキレて「比企が贔屓されて、北条が目立たない」と怒ってましたが、まだまだ北条家なんてこの頃は小物です。

本大河では小者感漂う能員ですが、武蔵を治める一大勢力で、この時点では北条との差は明らかです。相模の実力者である三浦でも比企には及ばないかと思われます。そうでなければ、頼朝の子の万寿(頼家)の乳母夫にはなれません。実際、後一歩で後の北条氏の立場を掴めるところまで行ったものの、時政の逆襲の一手で一転、滅亡の憂き目に。当然、本大河でも少なくとも丸々1回使って描かれると思いますが、果たしてどこまでまともに描かれるのか、期待と不安が入り混じります。

ちなみに、この時、時政の娘婿として並んで登場した、畠山重忠と稲毛重成、そして牧の方と時正、義時、時連たち北条氏は後の因縁がありますが、それは今後描かれるでしょうから今は置いておきます。

ついに八重も退場

何度も書いてきましたが、実在すら疑われる八重がついに退場となってしまいました。天罰とか仏とか、やたらと暗示するものがありましたが、何の天罰だったのでしょう。義時に対する天罰でしょうか。

なお、八重が義時と結ばれて「阿波局(義時の妹の阿波局とは別人)」として金剛(北条泰時)の母になる、というのは歴史的な裏付けは一切有りません。本大河の歴史考証を担当している坂井氏が「半分妄想」と明記した上で、そういうこともないわけではないだろう程度の話です。他の歴史家からは、平家方についた伊東祐親の娘を嫁にすることはないだろうという反論もあります。
また、制裁となる姫の前は鎌倉御所勤めで頼朝のお気に入りであり、義時が猛烈アプローチしたが実らず、頼朝の口利きで結ばれた、という話があります。これ、まさに本大河の八重と義時です。この姫の前は比企能員の弟の比企朝宗の娘であり、比企の乱の後に離縁されています。配役が決まっているので本大河にも登場するはずですが、果たしてまた義時はもうアプローチするのでしょうか?

なお、この頃の北条義時は江間義時であり、北条の分家扱いです。とは言え、江間という領地を収める豪族ですので、八重こと阿波局はその妻(正妻ではない)であるので、孤児を育てる暇はなさそうな気はします。

その、八重と三浦義村が河原で雑談した際、もう戦争はないのかと問う八重に対して、義村はもう戦う相手がいない、御家人同士が争わなければ戦争はないと言い切るわけですが、もちろんフラグです。
この後、頼朝の死をきっかけに、御家人同士ガチで血を洗う抗争を繰り広げることになり、それに最終的に勝ち残るのが義時と、その庶長子である金剛(泰時)になります。これも頼朝に対する天罰なんでしょうか。
なお、「吾妻鏡」は義時、泰時父子の敵には容赦ないので、義時等が討ち滅ぼした勢力は叩きまくりです。それは時政はもちろん、頼朝もです。流石に多少の遠慮はありますが、暗雲を明示して「この行いが報いて…」ということを示すエピソードをさりげなく忍ばせています。まあ、それを書いたのは義時や泰時ではなくて、その子孫ですから、彼らを責めるのもお門違いですけど。

それは本大河でも同じなのですが、畠山重忠は配役を見ても明らかなように贔屓していますが、どうするつもりなんでしょう?もっとも、彼の扱いは上総介広常と似ていて、吾妻鏡でもそれほど叩かれていないのでそのためでしょうか。