「鎌倉殿の13人」第12回・補足
源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第12回。今回のメインはサブタイトルにある通りの「亀の前事件」。史実でも有名な事件ですが、これまた奇想天外な話を盛り込んできました。
今回も歴史観とか無視した面白ければなんでもありのストーリーでツッコミどころ満載でしたので、主に三浦一族の視点で補足していきます。
頼朝、義経を悪様にする北条得宗家ファースト
義時の弟
メインになる亀の前事件の前に、軽くオードブルとしてまずは義時の北条家での立ち位置と家族構成について。
本大河では時政の子として明確に登場しているのは既に亡き兄、三郎宗時と主人公たる小四郎義時が居ます。時政の半生自体が不明な部分が多いのですが、三郎、小四郎がいたら普通は太郎、次郎が居ても不思議ではないので、宗時たちの兄がいたのかもしれませんが、詳細は不明です。はっきりしているのは以下の通りです。
- 伊東資親の娘(または妹)
- 三郎宗時
- 阿波局(阿野全成の妻、本大河では実衣という名)
- 小四郎義時
- 牧の方
- 政範(若くして病死、12話時点では生まれていない)
- その他女子4人
- 生母不明
- 政子
- 時子(政子の同母妹)
- 五郎時房(12話時点で数え6歳)
- その他女子4人(畠山重忠の妻を含む)
作中で触れている通り、義時は江間の地を与えられ、名も江間小四郎義時と名乗っていますので、北条本家の後継では無くなった、という説もあります。三浦義澄の兄の子が和田義盛と和田姓になっているように、本家から別れた分家はその土地の名を取ることが多いです。ただ、その義盛の父である杉本義宗は治めていた土地の杉本姓を名乗っていますが、その死まで三浦家の家督を継いでいたことになっていますし、その後杉本城に入ったのは和田義茂は和田姓だったりするので、いろいろ分かりづらいです。
義時が継がないとすると誰が後継者なのかという話になりますが、上述の通り時房と政範が居ます。特に牧の方は自分の子である政範を後継にしたかったし、時政もそのつもりだったという説もあります。ただ、結局政範は若くして亡くなってしまいました。それがその後の御家人間の争いや頼家や実朝とも関わっていきます。この政範は16歳で亡くなっていますが、その時点で従五位下に叙任されており、時政、牧の方が溺愛していたとも伝えられているため、後取りにする気であったという説があります。まあ、12話時点では生まれていませんけど。
もう一人の弟時房も、兄が相模守であった際に同格の武蔵守に叙任されています。それ故、後継にするつもりだったのではとも言われています。この後も兄義時やその子の泰時を支えて活躍するのですが、現時点で出番はありません。義時の12歳下で12話時点で6歳ですから仕方ありません。ただ、生まれてはいますし、北条家は誰が継ぐ?と話が出た際に全く名前が上がらないのも不思議な気はします。まさか、この後、登場しないということはないと思いますが。若くして亡くなってしまった政範こそ登場しないかもしれません(京への使者もしているので決して出番がない人物ではありません)。
なお、時房は後の名であり、元服時の名は烏帽子親の佐原(三浦)義連の1字を取って時連でした。佐原義連は三浦義澄の弟です。一ノ谷の戦いの鵯越の逆落としは有名ですが、その際に真っ先に「三浦ではこれくらいは当たり前」と豪語して駆け降りたのが義連とされています。が、おそらく本大河では出てこないと思います。きっと、義経自身が真っ先に駆け降りるのではないでしょうか。
まだまだ粘る八重
いやもう、何も言うますまい。次回もまだ登場するようですし。正直、義時に対して何をしたいのかという気持ちはわかるものの、義時の気持ちがわかっているのにあそこまで言う八重もどう言うものかと。まあ、八重から見たら義時はストーカーと感じるかもしれませんけど。
亀の前事件
いや、ここでも義経をぶっ込んでくるとは思いませんでした。しかも、それを口実として牧宗親に八つ当たり。どうにも、本大河では頼朝と義経に対する悪意が透けて見えます。正直、源平合戦までの義経には特に話題もないのですが。
さて、何回も書いていますが、亀の前とは何者か?吾妻鏡では伊豆時代から頼朝に仕える侍女で容姿もよく柔和だったとされています。が、本大河では安房の漁師の嫁で、政子には「薄い顔」とか言われるくらいで容姿が良いとも言えなそうで、性格的にも八重相手に頼朝との仲を見せつけたり、三浦義村や上総介広常に色目を使ったりと、柔和とは言えなさそうな人物として描かれています。
事実関係としては以下の通りです。
- 政子が頼家を懐妊中に鎌倉に密かに呼び寄せた(経緯が微妙だがまあまあ事実通り)
- 逗子の小坪(漁港がある、鎌倉と逗子の境の逗子寄り)にある中原光家の館に亀を預ける
- その後、同じ逗子の伏見広綱の館に移す(本大河では館を亀の前のために建てたことになっている)
- 牧の方から知らされた政子は、叔父の牧宗親に後妻打ちを命じる(経緯が微妙だがまあまあ事実通り)
- 伏見広綱が亀を連れて葉山町の太田和義久の館に脱出(本大河では義時と義村が事前に逃す。義村が上総介広常の所に連れて行った?)
- 事情を知った頼朝が激怒、牧宗親を亀が逃げた葉山町に呼び出して叱責(本大河では御所で叱責)
- 当時の武家、公家が烏帽子を取った姿を見せるのは恥辱、さらに髻を切るなど甚だしい侮辱行為
- 北条時政は義兄の牧宗親への頼朝の仕打ちに激怒して伊豆に引き上げ(経緯がなんだがまあまあ事実通り)
- 亀は逗子の中原光家の館に戻される(12話時点では上総介広常の元に居るらしい)
- 政子の怒りにより伏見広綱は流罪になる(本大河ではそもそも広綱が未登場)
- 亀の前のその後の消息は不明
実に大胆に変えてきました。義経が政子のためを思って暴走、という筋書きらしいのですが、そんなことしてどうなるかわからない年齢でもないでしょう。義経は数えで23歳。当時はもう立派な成人男性です。
また、その義経のことを頼朝に報告するのが当たり前ですが梶原景時。これでもかと言うくらいに義経と景時の因縁を重ねていくようです。
もっとも一番可哀想なのは登場もしていない伏見広綱です。頼朝の命令で亀の前を預ったばかりに後妻打ちされ、亀の前を助けて逃れたものの、政子の怒りで流罪。しかも、事件の半年前に頼朝に仕えるようになったばかり。まあ、元々遠江(今の静岡西部)の人で、流罪先も遠江なので、実際は政子の怒りを宥めるために生地に戻したのを流罪と称したのかもしれません。
時政の真意
なぜか夫の主君である源頼朝に対して逆ギレをする時政の妻りく(牧の方)と、そこに乗り込んできて同様に頼朝に迫る娘の政子。この時点で鎌倉時代をなんだと思っているのか?これは平成のホームドラマか?という感じなのですが、それをうまく解決するのが時政。
このシーンは正直なかなかすごいと感じました。まあ、セリフやナレーションで語られているわけではないので自分の勝手な解釈ですが、このままでは治らないと思った時政が、口を滑らせた風にして自分が身を引くことでうまく収めたのだろうと考えます。
あるいは、最初に怒鳴ったときにはそこまで考えてなかったのかもしれません。が、その後、しまったという感じの顔の後の覚悟の決めたような間と表情は、このまま自分が全ての責を取って納めようとしたのかな、と感じました。
実際、この後しばらく表舞台から消えた時政ですが、いつの間にか京で重要な役割を果たすことになります。主人公の父であり、不器用ながらも憎めない好々爺というイメージで貫きたいのかもしれません。北条家に大甘な本大河ですから。
亀の前異説
吾妻鏡では亀の前に関する記載は以後登場せず詳細は不明です。ただ、三浦に伝わる伝説があります。頼朝は鎌倉に隣接する三浦一族の所領にたびたび訪れたとされています。そのために三浦半島の先端である三崎に桜の御所、椿の御所、桃の御所という3つの別荘のようなものを建てて、よく訪れたという話が残っています。その椿の御所に頼朝の側室を匿っており、花見と称しては訪れたという伝説があるのです。その後、側室の女性は頼朝の死後に尼となり、大椿寺という寺を建てて菩提を弔ったとされています。
その女性が亀の前であるという話はありませんが、その女性にまつわる話として亀の前事件と全く同じ話が伝わっているという話があります。本当かどうかわかりませんし、混同されたものである可能性もありますが、本当だとしたらその後も政子に隠れて…というよりは暗黙の了解の上でたびたび三浦であったいたのかもしれません。彼女こそが八重姫という説もあるとかないとか。亀の前は伊豆時代から仕えていたとされているし、侍女にしても単なる下働きとも思えないので、それなりの地位のある女性だった可能性もあります。政子が大激怒した亀の前事件も、相手が北条の立場を奪いかねない相手だからこそ、一家総出で後妻打ちしたのではないかという推測をしている方の記事を見かけました。つまり、伊豆一地方豪族でなんの実績もない北条家の娘と、それなりの立場である女性のそれぞれに男児が生まれたら、跡取りも正妻としての立場も一地方豪族の娘である政子と北条家は失いかねないということです。仮に八重=亀の前だとすると、伊東祐親の娘であり、家格としては北条より上ですから。単に嫉妬だけの話ではなくて、お家の大事が関わっていたという可能性もある、という話です。そうすると誰が祐親・祐清父子を殺したのかとか、色々深読みしたくなります。まあ、全ては異説です。ただ、三谷脚本より面白い解釈だと思ったのは自分だけでしょうか。
妾に関する現代的解釈はいい加減にしてほしい
この手の時代劇で、妾を持つのが悪という描き方をされるようになって久しいです。確かに現代的解釈では悪徳なのでしょう。が、戦国時代や鎌倉時代にそんな考え方を表立ってするはずがないじゃないですか。まあ、内心ではもちろん女性の立場として忸怩たるものがあったかもしれません。ただ、それよりも跡取りを生むことが大事だった時代背景を無視して、妾を持つこと自体が悪いことであるように源範頼にまで言わせるのはなんなのでしょう。
3人の文官
今回京から政治に詳しい文官が3人やってきました。そのお披露目もあったわけですが、ちゃんと字幕がついていました。御家人でも字幕が出ない人物が多いなか、破格の扱いです。一応13人の人物だからでしょうか。でも、13人の和田義盛は字幕出ましたっけ?
まずは大江広元。正しいですが正しくないです。広元が大江姓になるのはだいぶ先の事で、12話時点では中原広元です。また、鎌倉に実際に来たのはもう少し後の1184年のようです。13人の1人です。
次に中原親能。大江広元が実は中原姓であると書きましたが、その広元の兄になります。13人の1人です。
最後に藤原行政。彼が鎌倉に来た時期は明確ではありませんが、やや早い登場である気はします。後に鎌倉の邸宅の近くの寺の二階建ての仏堂に因んで二階堂と名乗ることになりますが、彼の父親は工藤を名乗っており、一般的には二階堂または工藤と呼ばれています。なぜ本大河では藤原姓にしたのかは不明です。大江広元が大江なのだから二階堂で良さそうなものですが。13人の1人です。
これでまだ京にいる三好康信を含めて13人が出揃ったかなと思ったのですが、八田友家がまだだったでしょうか。頼朝挙兵から従っているのでもう登場していても良いはずなのですが。
結局、亀の前事件とはなんだったのか
そんなわけで、面白おかしく描いた亀の前事件。ただ、丸々1回使ってなんだったのでしょう。後妻打ちについてはまあ説明がありましたが、なぜ成人男性の牧宗親があんなに嘆き悲しみ、その妹である牧の方が(実際にはあり得なそうですが)頼朝に詰め寄り、時政が激怒したのか、果たして伝わったのでしょうか?表面的な出来事を並べて、その背景とかは省略、面白おかしく鎌倉時代をまるで現代のように描く。鎌倉時代のような異世界を舞台にした仮想戦記とでも思えば良いのでしょうか。
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