読書感想:invert 城塚翡翠倒叙集

読書,倒叙,城塚翡翠,小説,相沢沙呼,講談社

2022年10月から12月にかけて放送されたテレビドラマがなかなか面白かったため、原作小説に手を出してしまいました。ドラマの前半は「medium 霊媒探偵城塚翡翠」をもとにドラマ化したもので、後半が今回の「invert 城塚翡翠倒叙集」と「invert Ⅱ 覗き窓の死角」収録の作品をドラマ化したものになります。1冊になっているものの雑誌掲載1篇と書き下ろし2篇の短中編集です。

あらすじ

とあるIT企業の社長の突然の死。それはITエンジニア狛木が長年自分を支配してきた古い友人でもある社長から解放されるために仕組んだもの。思惑通りに事故死として処理されるが、ある日、隣に越してきた美女に「最近家族か友人を亡くされませんでしたか?」と問いかけられる。狛木はその女性、城塚翡翠とともに事件の謎を追うことに…(「雲上の晴れ間」)。

他、「泡沫の審判」、「信用ならない目撃者」を加えた3作品を収録。

あなたは「探偵の推理」を推理できますか?

mediumは連続女性殺人事件を縦糸に、城塚翡翠と香月史郎が協力して解決する一連の事件を横糸にした事件群を扱う長編小説。しかし、今回は中篇3作からなる作品になっています。また、タイトルに「倒叙」集とあるように、あらかじめ「事件」が提示され、それをどのように解決するかを描く作品が集められています。このような形になった経緯については、インタビューなどで担当編集者から急かされたことと、mediumから間をおかずに早く読者に届けたいという思いから、長編の形式を取らなかったという話が載っています(と、Wikipediaに書いてある)。

とは言え、最初の2篇「雲上の晴れ間」と「泡沫の審判」と、ラストの「信用ならない目撃者」の比重は明らかに違うと感じます。mediumでの一連の事件にあたるのが先の2篇で、最後の連続殺人犯との対峙と「豹変」にあたるのが「信用ならない目撃者」ではないかと考えると、mediumと同じような構成の連作中篇と捉えることができると感じます。

各中編では翡翠がまるでメタ発言のように「『探偵の推理』が推理できますか?」と煽りを入れてきます。設定上、これは真に向けて言っていることになっていますが、明らかに「読者への挑戦」ですね。作中ではもうちょっと細かく、「翡翠がなぜ犯人を特定できたのか」や「犯人の犯した致命的な失敗は」といった細かい設問もついてます。ドラマから入って概ね内容を知っているのでその辺りを楽しめないのは残念ですが、そもそもドラマを見ていなければ原作を手に取ることもなかったわけで。

さて、ここでお断りです。この先、各中篇のことについて書いていきます。本ブログではなるべく内容のネタバレをしないような形で書くようにしています。が、本作の場合は内容に全く触れずに書くことが難しいです。

どうしてもネタバレ的な内容を含んでしまうことになるため、未読の方でネタバレを避けたい方はこのままそっとページ(タブ?)を閉じてください。既読の方やドラマを見たから大筋は知っているとか、ネタバレ上等の方だけ先に進んでください。

ネタバレ前にドラマを見た方で原作はどうしようと思っている方へ。ドラマ「invert」4話、5話にあたる「信用ならない目撃者」はドラマではだいぶアレンジしています。これは、ドラマのスタッフが悪いとかそういう問題ではなく、メディアの都合上仕方ない部分かと思います。

その点では、ミステリを読むのが嫌いでなければ、原作とはまた少し違う「城塚翡翠」を感じることができるかもしれません。保証はできませんけど。

もちろん、犯人は同じだし、使われるトリックやあらすじも同じです。ドラマを見た方なら途中で「あれ?なんか違うな」と思うかもしれません。その辺で察しのいい人ならわかってしまうかも。

さて、時間稼ぎもしたので、ネタバレを含む内容に触れていきたいと思います。

雲上の晴れ間

書き下ろし作品。IT系のベンチャー企業を舞台にした作品なので、システム屋さんである自分にはなじみのある世界。自分がミステリを読んでいた2000年代前後にはITエンジニアが出てくることなんてありませんでしたが、時代も変わったものです。著者自身フリーのプログラマー経験があるとのこと。ミステリ読んでて「プルリク(Pull Requestの略)」なんて単語が普通に出てくるとは思いませんでした。

自分もその辺は経験があるので、狛木が翡翠に犯行を暴かれた時の独白は他人事じゃない感じがします。

完璧な犯行計画だったはずだ。
だが、バグは潰しても潰してもなくならない。
人間が、完璧ではないから。
それを、自分はよく知っていたはずなのに。

ちなみに、自分も狛木の以下の意見に同意したくなるのですが、翡翠に言わせれば違うらしい。

(狛木が翡翠の掌の上で操られていたことについて)
「僕は最初から騙されていたのか…。女性というのは、恐ろしいですね」
翡翠はちらりと天井を見上げて、いたずらっぽく笑う。
「女性が恐ろしいのではありません。わたしからすれば、男性が愚かなのです」

まあ、未知ほど恐ろしいものはないと言うので、結局は女性は恐ろしい。

そして最後に狛木は自分の好きな言葉としていてあげていた「プログラムは書いた通りにしか動かない」にかけて、「人生も、行動したとおりにしか動かない」という一種の悟りを得ます。これ、なかなか重い言葉かな、と。その直前に「経験を重ねれば人は失敗を減らせる」「バグを減らすように?」というやりとりがあります。ただ、経験が乏しいうちにした失敗が致命的になることもあるので、人生はバグってるという話になるのですが。

泡沫の審判

雑誌掲載作品。正義と綺麗事について。殺人までいくと難しい部分もありますが、ちょっとした「悪いこと」なら「これは正しいこと」だと言い聞かせてやってしまうこともあります。

本作の犯人は小学校の教師ですが、生徒たちを守るために殺人をしてしまいます。真相を暴いた翡翠に対して彼女は「あなたさえ黙っていてくれれば」と言いかけます。それにかぶりを振る翡翠。

「どうして…!わたしは正しいことをしたのよ!わたしはみんなを護った!なのに!」
(中略)絵里を見据えて、激しくかぶりを振った。
「いいえ!いいえ先生!それは違います。よろしいですか。この世に正しい殺人なんてものはありません!正しさなんて、泡のように儚くて脆いものなんです!独善的な人殺しなんて、あっていいはずがない!」
「そんな綺麗事じゃ」
(中略)
「綺麗事を信じるしかないのです!いいですか、いいですか!人の命はたった一度きりです!あの世はなく、蘇りもなく、転生もないのです!」
(中略)
「人を殺してはいけないという社会を守り続けることでしか、人の命を奪う暴力を除外する術はないのです!」

正しさなんて、泡のように儚くて脆い。皆、自分の思う「正義」こそが正しいと思い込むが、「正義」なんて所詮は儚いもの。

これは「雲上の晴れ間」の狛木も同じですが、人は思い悩むと視野が狭くなって、それしか見えなくなることが多いかと。もうこれをやるしかないと一つの手段に固執しがち。でも、傍から見ればもっと選択肢があることも。他人のことは言えませんが、1人で抱え込むのはよくないですね。

信用ならない目撃者

書き下ろし作品。タイトルの「invert」とは反転という意味。ドラマではmediumが「すべてが、伏線」、invertが「すべてが、反転」というキャッチになっています。ちなみに、ドラマのキービジュアルもそれぞれ単行本の表紙をオマージュしています(mediumの表紙は翡翠だけですが、ドラマの方は真、香月、鐘場も登場)。

その「反転」を体現するのがこちらの中篇。mediumの最終話「VSエリミネーター」同様、最後にすべてが反転する爽快感がこのシリーズの売りなのではないかと感じます。と言うか、自分がドラマや原作にハマったのはその部分。もちろん、そこに至るまでの事件群で翡翠が見せる手口の巧妙さもなかなかに面白いのですが。そう言う意味では、作中で翡翠が語る悪い読者ですね。

「雲上の〜」の狛木が正義を見失った人物、「泡沫の〜」の絵里が正義を見誤った人物とすれば、「信用ならない〜」の雲野は正義をなくした人物でしょうか。あるいは、絵里が逮捕されなかった時の成れの果てと言うか。目的を見失い、手段が目的化して、ひたすら暴走する。このシリーズでは翡翠が対峙した犯罪者を社会の敵、自信をそれを排除するエリミネーターだと称する時があります。なんか、上遠野浩平のブギーポップシリーズを思い出してしまいますけど。

いずれの人物も特に歪んでいたわけでも、悪の存在だったわけでもなく。言わば普通の人です。それぞれ事情があって、そのちょっとしたきっかけで殺人を犯してしまうわけです。何かのきっかけで簡単に社会の敵になってしまうんだな、と。

雲野も妻をなくすまでは有能な刑事で、何人もの犯罪者を捉える側だったのでしょう。それが何かのきっかけで「反転(invert)」してしまった。作中で複数の人物から「化け物」とも称される翡翠。正義の味方としてあり続ける彼女のブレなさは、簡単に反転してしまう一般人とは違う化け物さの証しなのでしょう。

その覚悟の原点がいつか描かれることがあるのか(あるいはすでに未読作品で描かれているのか)が気になってしまう主人公です。

推理小説論

mediumの方でも翡翠の言葉として語られていた推理小説論。今回も健在です。

「推理小説は、推理を楽しむよりも、驚くことが目的となって読まれているんじゃないでしょうか。意外な犯人に意外な結末。推理小説といいながら、驚きの犯人や意外な結末さえ示せれば、探偵の論理なんてどうでもいいのです。そんなのに夢中なのは作者と一部のマニアだけ。犯人を当てたい人たちも、論理を組み立てたいわけじゃなくて、勘で察して当たった快感を得たいだけなのです。なんとなくわかったで済むのなら、探偵も警察も検事も要らないのに」
(中略)
「ミステリとは、すなわち謎、そして推理小説とは、つまり推理をする小説…。だというのに、普通の人たちが求めているのは、びっくり小説、驚き小説、予測不可能小説なんですよ」

これはあくまで作中人物の城塚翡翠の意見です。ここにどこまで著者の意思が入っているのかは存じません。ただ、推理小説も色々。ここに至るまでにも色々な特色を持った作品群がありました。そもそもジャンル名も元々は探偵が活躍するから「探偵小説(英語ではdetective novel)」だったとか。Wikipediaには探偵の「貞」が第二次対戦後に制定された当用漢字に含まれず、「探てい小説」と書くのがみっともなかったので「推理小説」になったと言うエピソードが載っています(ただし、要出典マークがついているので、根拠が不明で諸説ございます状態)。

日本では松本清張が代表する社会派推理小説が1960年代から2000年頃までの主流です。こちらは名探偵が出てきて事件を解決するような「探偵小説」や「本格ミステリ」と呼ばれる作品群と対照的なものになります。颯爽と登場した1人の探偵が事件を解決すると言うより、警察が組織捜査するような作品。当時の時事的な問題を背景にしたような事件を舞台に、トリックや謎の解明よりも人間の心理や社会現象に重きをおいた作品が流行りになったのです。

その意味では、当時の推理小説はびっくり小説ではないものの、推理を楽しむものとは言い切れないのも確かでした。その社会派として当初は活躍していたのがトラベルミステリーで有名な西村京太郎氏。当初は社会派作品を書いていた氏が「寝台特急殺人事件」をきっかけに十津川警部が活躍するトラベルミステリーを次々と発表して一大ブームを築くことになります。ただ、ブームのせいで他の作品が書けなかったとも。長編の時代小説を書きたかったが、どこの出版社も賛成してくれなかったという逸話があります。

ちなみに西村京太郎氏はトラベルミステリーを書くに当たって物語の最初と最後を決めて、間は辻褄を合わせているとインタビューで語っていたかと。氏、曰く「キセル(乗車)方式」とか。これが本当なのか、氏が茶目っけを出してそう言っていただけなのかはわかりません。

ただ、推理小説が必ずしも推理や謎をメインとするものだけではないことも確かなわけです。まあ、言い訳なんですけどね。なお、一般的にはミステリ作家と呼ばれても、当人は「ミステリを書いているつもりはない」と述べている作家もいるとか。推理小説が子供向けと言われた時代もあるし、今で言えばライトノベルとかそんな感じの扱いだったわけです。

ただ、システム屋さんの端くれとしては、論理を大切にしたいという思いもあります。某錬金術をテーマにした人気コミックでは錬金術を「理解、分解、再構築」だと言っていましたが、プログラミングもまさに「理解、分解、再構築」だと思ってます。そこに必要なのは論理。ついつい、先が気になって推理を楽しまずに結論を求めがちですが、ちゃんと「理解、分解、再構築」しないといけませんね。

書評から

他人のレビューは参考にすることもあればしないときもあり、どちらかといえばあまり気にしないでしょうか。ただ、自分が読書記録をつけているサイトで、他の方のレビューや感想が目に入ることも。

本作もちらちらと見えてしまったのでざっと流してみたのですが…。作中の「あざとい」翡翠の「はわわ」とか「あれれ」にイライラするという感想もいくつか見かけました。まあ、あれは作中で「相手を苛立たせるため」にわざとやっていると明記されています。なので、わかってはいるけどイラつくというものもいくつかありました。

まあ、実際あまり現実で「はわわ」なんていう女性はいないとは思いますが。この「あざとい」翡翠と「見通す」翡翠の二面性は作品の根幹でもあるので、これをスルーできないと楽しめないのも確かですね。自分はあまりそこは気にならないので助かっています。

そのレビューの中にすり替えをショーの間ではなく、帰り際にわざわざ犯人に席を外させた理由がわからないというものがありました。もちろん、これが正解というわけではないですが、自分流の答えを書いてみます。

真自身は翡翠がショーの間にすり替えることも検討したと判断し、そうしなかった理由は一つしか思いつかないと語っています。そして、それはうぬぼれが過ぎるとも。つまり、翡翠がショーの間にすり替えなかった理由は真が関係することになります。つまりは、真の安全に関係することであり、おそらくそのすり替えがなんらかの理由で失敗した場合のことでしょう。

一番まずいのは、すり替えの失敗ではなく、すり替えの失敗に翡翠たちが気づくことなく雲野が「翡翠」を銃撃すること。単に失敗して空砲にできなかった場合でも、それが分かればおそらくなんらかの対応ができるでしょう。しかし、なんらかの理由ですり替えが失敗した挙句、翡翠たちがすり替えに失敗していることを知らされなかった場合。あるいは、すり替えを頼んだ協力者が何らかの理由で行動できなかったり、最悪、裏切った場合。

協力者は便利な存在であると同時に危険な存在でもあります。「パートナー」である真の安全を翡翠は他人任せにできなかった、だからある意味リスクが高い自分ですり替えるという手段を選ばざる得なかった、と。そう推理したから「うぬぼれが過ぎる」がもしそうなら「赦してやってもいい」と言っていると理解しました。

ただ、その後で真が思い直したように、全ては計算ずくという可能性もあります。例えば天井を見遣る行動を真は「都合の悪いことを訊かれたときにする翡翠のクセ」と認識しています。が、それすらそう思わせるための仕込みという可能性は残るわけで。実際、そういう手口を使う作品もどこかでみたような。

そんなわけで真が翡翠のことがわからないというのと同様に、読者は真以上に情報がないので、すべてが憶測になります。雲野が騙されたようにいつ何が反転するかわからないのが現実なわけで。そのあたり、いつか描かれるのかもしれないし、読者の解釈に任されているのかもしれません。与えられた回答に跳びつく前に「『探偵の心理』を推理しないさい」と。

ドラマとの違い

「medium 霊媒探偵城塚翡翠」も後半に行くに従ってドラマと原作の乖離が見られました。今回の「invert」でも特に最後の「信用ならない目撃者」では多くの乖離点があります。小説とドラマというメディアの違いからどうしようもないものもあれば、一つのドラマとしてまとめるための制作上の都合までいくつかあります。

ただ、どちらか未見の人は、ネタバレになるのでこの先を見ないようにしてください。

思いつく限りで上げておきます。なお、「invert Ⅱ」からドラマ化しているinvert3話「生者の言伝」は未読なので触れません。

  • (共通)鐘場警部補、天野刑事は登場しない(そもそも天野刑事はドラマオリジナル)
  • (1話)パソコンのロック解除にスマートウォッチを使わない。結果、自分の腕に付け替えることもない
  • (4、5話)雲野はドラマでは杉本哲太さんが演じていたが、設定上はどちらかといえば優男っぽい
  • (4、5話)香月史郎(鶴丘文樹)は噂くらいで本人は登場しない
  • (4、5話)目撃者の「正体」と、その設定変更による真の扱い

一番大きいのは無論最後の設定変更。かなり大胆にアレンジしていますが、これは映像作品と原作の違いから仕方ない部分かとは思います。昔の明智小五郎シリーズみたいな変装をしている設定ならともかく、化粧や服装だけの設定のため、ドラマでは原作みたいなミスリードはできません。どうしても変えざるえなかったのかと思います。

ただ、そうするとラストで真が翡翠の真意を訝るシーンがなくなってしまうわけで。正直、痛し痒しですね。そういう意味ではドラマより原作の方が面白いと感じます。ただ、こればかりはメディアの性質上、致し方ないでしょう。

どうしてもやるなら今回の一連のドラマの1話でやらないと意味がなくなりますね。それはそれで面白いかもしれませんが、キャストが発表されているのでどうしてもネタバレになってしまいますし。やるなら徹底して「城塚翡翠:小芝風花」で発表してもよかったような。それやると、mediumが面白くなくなりそうで、結局どうしようもないのですけど。

公式サイト

既刊感想