「鎌倉殿の13人」第14回・補足
源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第14回。今回のメインは前回からの木曽義仲。義仲の栄光と挫折になります。
今回も歴史観とか無視した面白ければなんでもありのストーリーでツッコミどころ満載でしたので、主に三浦一族の視点で補足していきます。
まあ、今回は義経が面目躍如でカッコよかったです。
三つ巴の戦い
木曽義高と大姫
木曽義仲の嫡男、義高がイケメンかどうかは分かりませんが、大姫との仲は良かったのは確かだったようです。ただ、史料によって名前が義高だったり義隆だったり義重だったり義衡だったりするようです。
木曽義仲の栄光と挫折
さて、今回、義仲は北陸での戦勝で勢いに乗り、京まで上り、平家が逃げ出したものの、その後勢いを取り戻した平家に苦戦し、ついには後白河法皇と訣別することになる、というとても大雑把なストーリーであっさりと済まされてしまいました。
実際には、色々と経緯があります。その最たるものが皇位継承問題への介入とされています。劇中ではしれっと一言で済まされた後鳥羽天皇の即位ですが、その前に義仲がこれに介入するような提言をしたのです。これで後白河法皇や公家と義仲の仲が悪化します。そこを完全に劇中ではすっ飛ばしました。後白河法皇の「義仲と行家にはがっかり」発言で全てを済まされてしまいました。
御家人達の不穏な動き
一方、鎌倉では御家人達が不穏な動きを見せ始めます。主だった御家人が頼朝を廃して自分たちで坂東を支配したいとか言い始めます。いや、この頃の坂東武者にその発想はどうなんでしょう。それに巻き込まれてしまいそうなのが上総介広常です。実際、史実では彼はこの後、梶原景時に誅殺されます。
この事件をどうも今回の大河では大江広元(この頃は中原広元)が画策した陰謀とするようです。そこには北条義時、比企能員らも関わるようです。陰謀は景時にやらせるのかと思ったのですが、どうも色々画策するのは広元で、実行するのが景時のようです。実際に動くのは善児でしょうか。
それはさておき、幕府の史料、吾妻鏡では頼朝にも他の御家人に対しても尊大、無礼だったとしている広常です。まあ、吾妻鏡のことですので割り引いて考える必要はあります。何しろ、この誅殺をした景時自身がのちに失脚することになります。広常の件も景時の讒言ということになっています。北条にとって都合の悪い景時を排除するついでに、その景時が広常を讒言して誅殺させたことにして、正当化しているわけです。
上総介広常が横柄だったかは不明ですが、彼の立場が実は頼朝にも劣らないというあたりの話は広常が誅殺されてしまう時にまた書きたいと思います。
また、広常については奥州藤原氏とのつながりがあったとも、義仲が介入した皇位継承問題において義仲と同じ考えを持っていたことから義仲との繋がりを疑われたとの説もあるようです。
それはさておき、反頼朝陣営は千葉、岡崎ら。そこに北条時政の除名を条件に三浦が加わり、さらに中原(大江)広元の陰謀で義時の頼みで上総介広常が加わります。それに対して、頼朝方は義時は北条を代表しているわけではないので置いておくと、坂東武者としては梶原景時と比企能員のみ。まあ、比企がいるから畠山もこちら側でしょうか。兵力的には互角かも知れません。が、鎌倉のすぐ隣に本拠を持つ三浦の動員力を考えると、実は反頼朝勢の方が優勢なように思います。三浦は三浦半島全域を支配している上に、鎌倉にも隣接してすぐに全軍を投入でき、さらには隣接する杉本も治めているため、鎌倉への侵入経路も詳しいでしょう。義時の言うようにまさに鎌倉を二分する戦いになり兼ねません。
ただ、この考えは実際どうなんでしょう。実際、万寿を担いで頼朝を討つなんて、まんま下剋上です。と言っても、この頃の封建制は見返り(御恩)があってこその奉公ですので、それなしで坂東武者を義仲や平家の討伐に動かそうとすることへの反感がなかったとも言えないのは確かかも知れません。ただ、だから頼朝を討ってしまえ、は流石に短絡に過ぎる気がします。最終的にそういう流れもあるにしても、いきなり討ってしまえはないでしょう。富士川の戦いの後も京へ進軍したかった頼朝は御家人の反対もあって断念したのですから。
いつの間にか義時と八重が
子供まで作ってるようです。当然、実在が疑われる八重が義時の妻であるという記録はありません。が、どうも本大河の歴史考証を担当している方が、後に義時の後を継いで得宗家支配を確立する泰時の母である阿波局を八重と同一人物という仮説を唱えているそうです。
その根拠として、頼朝と別れさせられた八重は江間の豪族に嫁がされますが、その江間を義時が継いだことを挙げています。阿波局自体は詳細不明なので、どこまでも推測の域を出ませんけど。なお、本大河では実衣と呼ばれ、阿野全成に嫁ぐ宗時と義時の間の同母姉妹も阿波局と呼ばれるのでややこしいです。なお、政子は異母姉妹で母親の詳細は不明です。
おまけ:The 13 lords of the shogun
「鎌倉殿の13人」の英文タイトルは「The 13 lords of the shogun」です。直訳すると将軍の13諸侯でしょうか。ただ、「鎌倉殿」は「将軍」ではなかったりします。実際、劇中の1183年にはまだ頼朝は征夷大将軍ではありません。が、鎌倉殿です。その頼朝の死後、万寿こと頼家が鎌倉殿になりますが、彼が征夷大将軍になるのはしばらく後です。つまり、鎌倉殿は将軍ではありません。坂東の源氏の支配者が鎌倉殿であり、その鎌倉殿が後付けの権威づけとして征夷大将軍に任官されたに過ぎません。
また合議制の13人をLordと称するのも何か違う気がします。御家人はLordではないのでは、と思います。御家人を英訳するとそのまま「Gokenin」か「immidiate vassal」となるらしいです。まあ、どこかで本大河の13は特定の人物の数ではなくて、鎌倉期を象徴する数字、とかいうよくわからない説明も見かけたことがありますので、あまりここに文句を言っても仕方ないのかも知れません。それに、合議制の13人には御家人ではない人もかなり入っています。ますますLordって変じゃない?とか思ってしまいます。
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