「鎌倉殿の13人」第37回・補足

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源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第37回。何やら不思議なサブタイトルですが、牧氏事件の前編です。なんか大姫の呪いとかいう話もあるようですが、もちろんそんな意味はありません。三浦義村が地味に暗躍してますが、また色々改ざんしているようなので例によってツッコミを入れておきます。

歴史に名高い牧氏事件、誰が企んだのか

今回の話は頼朝の死から実朝初期に起こった一連の御家人同士の血で血を洗う粛清劇の最後の山場となります。ここでひとまずは落ち着きを取り戻すことになります。その背景から突っ込んでいきます。

北条なのか江間なのかはっきりしない義時

今回、劇中で泰時が「江間泰時」と呼ばれていました。そうなれば当然父である義時も江間のはず。と言うのも、とうの昔に義時は北条の分家の「江間家」の当主という位置付けになっています。しかし、「鎌倉殿の13人」では皆義時を「北条」扱いです。これまでも「北条義時」として扱ってきた中、なぜいきなり「江間泰時」扱いなのかとても謎なところです。どうも「鎌倉殿の13人」は人の名前の扱いがぞんざいですね。まだ大江家を継いでいない中原広元が「大江広元」と呼ばれたり。

企てたのは牧の方か、時政か、あるいは…

歴史上、一応伝わっている話は今回の「鎌倉殿の13人」とは異なります。

まず、時政と牧の方(りく)が源実朝を殺害して平賀朝雅を新将軍にしようとしているとの噂が立ちます。それに対して、政子・義時が結城朝光(「鎌倉殿の13人」では三浦義村に言い含められて阿波局(実衣)に梶原景時への讒言を吹き込む)、三浦義村、長沼宗政(前回初登場、字幕で紹介)を遣わして時政邸に居た実朝を義時邸に迎えます。その話は来週なのかもしれませんが、今のところ話が逆ですね。

この件について「吾妻鏡」では流石に時政を悪人にするのは憚られたか、牧の方(りく)に責任転嫁しています。一方、今回法皇に似顔絵を描かれて切れていた慈円の日記、「愚管抄」では時政が首謀したとしています。陰謀を聞いた政子が(なぜか弟の義時ではなく)三浦義村を呼んで相談。義村は実朝を連れて義時邸に行き、鎌倉殿の命として時政を伊豆に追放したとされています。さらに藤原定家の日記、「明月記」では義時が時政に背いて政子と実朝と共に、牧の方(りく)らを除いたとしています。

当時の江間義時と三浦義村

「鎌倉殿の13人」ではどうなるのかわかりませんが、「政子が義村に相談」とか「政子が義村を説き伏せた」ってエピソードがこの先も結構出てきます。なぜ政子が三浦義村を何かにつけて巻き込もうとするかというと、やはりこの頃の三浦氏の勢力は北条氏でもまだ手が出せないところがあったからでしょう。

この作品では鎌倉と伊豆や武蔵(畠山氏の本拠は今の埼玉県)と気軽に行き来するのでわかりにくいですが、鎌倉と山を越えてすぐの三浦半島を本拠とし、「13人」のうちの2人でもある三浦一族と和田一族(まあ、本家と分家ですが)は、何かことあればすぐに全軍を鎌倉に投入できる立場。鎌倉防衛の要です。北条の分家で狭い領土しか持たない北条義時と三浦氏の当主で和田氏も動かせる三浦義村では軍事面での影響力が違います。
そのため、頼朝もよく三浦半島に遊びに行き三浦との親密さをアピールしています。三浦半島には頼朝の別荘が3箇所あったとされています。

実は情報戦だった?源平合戦の舞台裏

また「鎌倉殿の13人」ではあまり触れませんが、この頃の東海道(古東海道)は今の東海道と違ったと言われています。メインルートは鎌倉から三浦半島に入り、海路で上総というルートだったとされています。その辺は古事記でも出てきます。日本武尊が東征した時にも三浦半島の走水から房総半島に渡ったとされます。その時、弟橘媛が身を投げて海を沈めたことで対岸に渡ることが出来たという伝説があります。

また、衣笠十字路の近くには宝塔十字路という場所があり、その近くに古い石塔(宝塔)があります。衣笠十字路を指して宝塔十字路としているWebサイトもあるようですが、地元の認識は宝塔十字路≠衣笠十字路です。今、京急の県立大学前駅にある宝塔ベーカリーは、昔はこの宝塔十字路の南にありました。今、葉山から久里浜へと至る久里浜街道がありますが、本来の道は大明寺の先から山側に入った平作川の南側の道で、宝塔十字路から県立横須賀高校へと至る道かと思われます。

街道があるということは情報が入るということ。頼朝挙兵時に頼朝に味方したのは三浦、北条、土肥など沿岸地域の豪族が多く、平家方に付いたのは大庭、中村、比企以外の武蔵の豪族(川越、畠山など)をはじめとした内陸部の豪族だった、という見方もあります。
平家方についた情弱豪族はまだ平家の世が盤石と思っていたが、実は平家支配が破綻しつつあることを知っていた情報通の豪族たちは頼朝を支持して鎌倉に独自勢力を築いた、という説があります。

そういう本当の鎌倉時代の面白さを「鎌倉殿の13人」では全く取り上げず、北条家のホームドラマにしてしまっているのが残念に感じる部分です。

巻き込まれ事故の平賀朝雅

次週、平賀朝雅がどうなるのか分かりません。ただ、今回時政から自身を鎌倉殿にという手紙を受け取って「冗談じゃない」と慌てていました。法皇に言われて執権になることはまんざらでも無さそうな朝雅でしたが、流石にこのタイミングでの鎌倉殿は地雷だというのは分かっていたようです。まあ、時政がいる限りはその婿として傀儡になるし、彼としては鎌倉で政治に関わるより、京に居たかったのでしょうね。

ちなみに牧の方に「平賀朝雅」も源氏と言われてましたが、その辺の説明が劇中でありましたっけ?公式サイトでフォローすればよいってものではないように思うのですが。「鎌倉殿の13人」でだけ彼を知る人にとっては、いきなり出てきた北条の娘婿の公家かぶれ、としか見えないような気がするのですけど。頼朝の猶子である事実も一切触れていなかったはずなのですが。

謎の呪文

今回のサブタイトル、実は大姫が昔唱えていた呪文、というか真言でした。何をどう聞き違えたか、不思議な言葉になっていましたが。正しい方は「おん ばさら あらたんのう おん たらく そわか」となります。これは虚空蔵菩薩という仏様の真言だそう。人智を超える無限の知恵と慈悲を備えた仏様で、どんな力にも打ち勝って皆の願いを叶えるのだそうです。

これを呪いの言葉に聞こえるというネットの声があるようですが、とんでもないことです。いやまあ、どう聞こえるかは個々人の感性の問題ですし、大姫がどういう意味を込めたのかの解釈もまた自由ですけど。

また、虚空蔵菩薩は子供が13歳の時に行う十三参りで知恵を授け、厄除けしてくださるとか。13といえば「鎌倉殿の13人」ですから、何らかの意味づけがあるというのは的外れではないのかもしれません。

本来は皆の願いを叶える虚空蔵菩薩の真言。最後に父と子達だけで集った場でのかつてを想起させるような穏やかで笑いが溢れるシーンで唱えられる間違った真言。大姫の願いも虚しく、すでに彼らの想いはバラバラになってしまったことを暗示しているのでしょうか。

次週、牧氏事件と一連の粛清劇が完結か?そして終盤へ

次週はいよいよ後編。時政邸の実朝はどうなるか?そして時政や牧の方(りく)はどうなるのか?三浦義村はどう動くのか。目が離せない回が続きます。