やりがい搾取とやりがい信仰

ライフスタイル

TL;DR

やりがい搾取とか言われて久しいですが、やりがい搾取の背景に年寄りのやりがい信仰と若者のやりがい離れがあるのかな、と感じました。

ソースは日経

こんなことを考えたのは、質問サイトに以下の日経記事を元に「色々と働き方の改革とかしてきたけど逆効果だったのか」という質問があったのがきっかけ(申し訳ありませんが、有料記事なので日経電子版購読者でないと閲覧できません)。

超簡単に概略を書きます。ある調査会社が社員クチコミサイトの書き込みを元に「働きやすさ」と「働きがい」を調べた結果、2012年から「働きやすさ」は右肩上がりなのに対し、「働きがい」が加工を続け、2018年からはやや下向きの横ばいだったというもの。またグローバルな調査でも熱意ある従業員の割合が日本は5%で主要国で最低だったとのこと。そんなわけで働きがいをスコア化して向上させようという企業の取り組みがある一方、ある識者は無闇に向上を目指すのではなく、何を重視しているのかを説明すべきという話です。
なお、元々は日経ヴェリタスの記事とのこと。

この記事に対して、自分の若い頃より働きがいが落ちているのは各種施策が逆効果だったのか?というご質問。

でも、今更の話だよね

それに対して自分はかいつまんで以下のようなことを回答しました。

  • 働きがい云々、従業員満足云々なんて少なくとも10年前から企業は取り組んでおり、日経の記事は今更
  • 要は働きやすさが改善されてきて話題にできなくなってきたので、働きがいを槍玉に上げただけ
  • 企業の従業員満足度向上施策なんてのも、結局、給料を上げられないことへのごまかし
  • 今の若い世代は必ずしも「働きがい」を求めていないのではないか
  • 施策が逆効果なのだとしたら、それは本当に求めていることではないからではないか
  • 働きがいの低下とか煽っているが、そもそも当事者たちが「働きがい」を求めているのか
  • そういう意味でスコアを上げるとかいうより何を重視するかの説明責任という識者の指摘は妥当

これに対して質問者からコメントがつきました。質問者はプロフィールによると自分よりも一回り近く上で、誰もが知る某電気系メーカーで部長までされたご立派な方。自分なんかとは月とスッポンという感じ。そのコメントが「(働きがいがない中)金のために我慢するのはきつい」とのこと。()内は実際に書いてあったわけではなく、文脈からそういうことだろうとこちらで補っています。まあ、社員クチコミサイトのネタだけをそれが正しいと思い込むのもどうかと思うのですが。

それに対して「自分は言いたいことはわからないでもないが、何を重視するかは個人の自由。やりがいがない=金のために我慢しているのかどうかは当事者に聞かなければわからないこと」と回答しました。そもそも全ての考えを網羅して考えない二元論に意味はないとも書きました。

それに対しての回答が「そこそこ仕事して給料もらって生活できれば良い」は次善の策という回答がきたので、この人には何を言っても無駄だなと思い、そこでやりとりは打ち切りました。質問に対して自分なりの回答はしたので、それで義理は果たしたよなと判断しました。

多様性を認められないのは老害か

まあ、自分自身の価値観で言えば、質問者の言うこともわからないではありません。何しろ、年齢的にはそちらに近いのですから。
自分も若い時にはやりがいを優先して無理をしたことも多いです。今は年休を月一で取らないと法律に触れる世の中ですが、休みは何か用事がある時に取るものという世代の親を見てきた子として自分も何もないのに休むことに抵抗を感じたりします。でも、今はとにかく年休を消化しろ、です(もち、会社によりますが)。

件の方も、有名な会社で部長まで勤め上げた方らしく、「自分の子供にはそこ(つまり次善の策)で停まってほしくない」とのことなので、きっとご立派な家族をお持ちなのでしょう。自分なんかとは住む世界が違います。きっとやりがいを持って充実した仕事を送り、次善ではない最高の生活を送られたのでしょう。皆がそんな生活が送れるのであればよかったのですけどね。

でもそれって、価値観の押し付けですよね。自分はそうやって成功した、だからそれが正しい。自分の子供も成功者の人生を送ってほしい。そのためには働きがいが必要だ。成功した人って、自分が成功したやり方で誰でも成功できる、できないのはそうしなかったからだ、って思いがちですよね。

うーん、気持ちはわからないでもないです。子供はいないので知りませんが、仮に後輩がそういうことで悩んでいたら力になるでしょう。でも、そうは思ってない人に「働きがい」を押し付けるつもりもありません。自分が何も成せなかったのは自分の責任なのでそれを他に求めたりはしません。仕事に働きがいを求めることを否定もしません。
でも、働きがいよりも大事なことがあるという価値観を持つ人に働きがいを押し付ける「働きがい信仰」は宗教戦争を生むだけですよね。

やりがい搾取とやりがい信仰

ここまで記事に倣って「働きがい」と書いてきました、意味的には一時期騒がれたやりがい搾取の「やりがい」と同じことかと思います。「やりがい搾取とは」で調べるとこんな解説が出てきます。

やりがい搾取とは、労働者の「やりがい」を利用して、雇用主が従業員に不当な長時間労働・低賃金で業務を強いて、利益を搾取する行為

まあ、いわゆるブラック企業など悪意を持って従業員に「やりがい」という麻薬を与えて搾取する人たちもいるのでしょう。が、実は多くのやりがい搾取は件の人のような「やりがい原理主義」の宗教指導者によって起こされているのではないかと思えてきました。

似たような人に体育会系「自分の限界を越えると成長がある」上司が居ますよね。まあ、確かに現状維持では成長がないかもしれませんが、そもそも仕事で成長しないと本当にいけないのか?という部分はすっ飛ばしてます。まあ、きっと大前提なのでしょう。これも「やりがい信仰」と似ている「成長信仰」じゃないかと感じます。

彼らは悪気はないか、わかっていて目を背けているのでしょう。件の人もそうですが、おそらく善意で言ってます。自分の上司世代は「俺たちはもっと頑張った、きつかった」とすぐに言い出す世代ですが、それを流石に表立って言えない世の中になってきたので、「俺たちは頑張った、きつかった」を「やりがい」と言い換えて、やりがい原理主義を打ち出しているのでしょうね。

まあ、自分も「ごちゃごちゃ言ったってやるしかないからしょうがない」と思って色々無理してきたので、やりがい原理主義に染まっているのは変わらないのですが。ただ、自分はもうそういう生き方をやめたので、今はもう「やりがい」なんてものは空想上の怪物だと感じるだけかもしれません。自分も成功者だったら「やりがいが大事」と言っていたかもしれません。

まあ、冗談はさておき、一度「働きがい」とか「やりがい」とやらは本当は何か、必要なのかというのを見直してみるのも良いのではないかと。

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Posted by woinary