鎌倉殿の13人」第46回・補足

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源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第46回。3日のスタジオパークによると放送は今回を入れてあと3回。衝撃のラストが待っているとのこと。実朝暗殺事件の余波も治らぬ中、ついに尼将軍誕生という重要な回。ただ、吾妻鏡でもあまり取り上げられない阿波局(実衣)に始まって終わる話でした。例によってツッコミを入れていきます。

やはり北条家ホームドラマを貫くのか

残り回数が少ない中、またしても北条家ホームドラマ。しかも、小四郎義時はもはや他人扱いに近く、政子と阿波局(実衣)との姉妹の話になっていました。

阿波局のその後

実衣こと阿波局ですが、宗時、義時の同母妹です。つまり、伊東祐親の孫になります。政子は母親が不明なので、阿波局と同じ母親かは不明。ただ、「鎌倉殿の13人」の歴史考証の坂井氏は政子と同じく伊東祐親の娘と時政の子という説を唱えています。その場合、祐親から見て娘の八重と孫の政子の両方が頼朝と関係を持ったといことになります。また八重は政子や阿波局、義時らの叔母(政子の母の妹)ということになります。「鎌倉殿の13人」では義時は八重を妻にしたことになっているので、義時は叔母さんと結婚して泰時を授かったことに。改めて考えるとなかなか複雑な血筋になります。

その阿波局ですが「家政婦は見た」ばりに色々な事件に接しては聞き耳を立てて北条時政に伝えるという役所以外に歴史上は見るべきところもない存在になっています。まあ、吾妻鏡の北条得宗家至上主義からすれば、実朝暗殺後に謀反を起こした阿野時元の母であり、同じく謀反を疑われた阿野全成の妻である阿波局をよく書くはずもないわけで。

そんなわけで吾妻鏡にも実朝事件後の阿波局の消息は記載がありません。それどころか最後に登場したのはそれより遥か前。牧氏事件の際に政子に実朝を時政邸に置いておくのは危険と伝えたのが最後。ただ1227年に阿波局が亡くなったので泰時が喪に服したという記載があることから、この年に阿波局が亡くなったことがわかっているだけです。ちなみに、政子より2年長生きしたことになります。

藤原秀康とは

今回突然登場し、鎌倉なんぞすぐに落としてみせると豪語したのが藤原秀康。後鳥羽が組織した親衛隊、西面武士の一人であり、承久の乱の京方の総大将です。その出自も生年もわかっていない部分が多いです。

なお、父は藤原秀宗とされていますが、その秀宗の実父は和田義盛の弟、和田宗実という説があります。宗実の子が公家の藤原家の養子に入ったとのことなのですが、年齢が合わないとも言われてます。また、和田宗実は男子がいなかったため、その後は甥が継いだとされていることからも合いません。

承久の乱では義村の弟の三浦胤義を引き込んだとされているので、三浦とのつながりがあるならさもありなんとも言えなくもありません。が、そもそも三浦胤義も和田合戦の後に京にやってきて西面武士になっています。

三浦胤義とは

和田合戦や実朝暗殺事件では三浦義村の側に控えていたのが三浦胤義です。三浦義村の末弟になります。義村が1168年頃の生まれとされるのに対して胤義は1185年頃の生まれとされているので、17歳差あります。「鎌倉殿の13人」ではあまり触れられていませんが、胤義の妻は源頼家の正室で公暁の弟である禅暁の母です。その禅暁も実朝事件の際に北条家によって殺害されています。同母兄の栄実は例の泉親衡の乱で担がれた結果、自害に追い込まれています。つまり、北条との因縁がかなり深いわけです。

上で触れたように首謀者の藤原秀康も和田の縁者説があり、承久の乱の京側の主要人物が二人とも三浦・和田の縁者、かつ、頼家とも関わりがある(比企能員と一幡の死を知った頼家が時政追討を命令したのが仁田忠常と和田義盛)あたり、承久の乱が実は北条対和田の延長戦という側面もあるのかもしれません。

その辺の事情は一切触れない北条家ホームドラマの「鎌倉殿の13人」なのですが。

触れられない内裏焼失事件

来週いよいよ後鳥羽上皇が北条義時討伐を命じた「承久の乱」のようです。その承久の乱の遠因となったとされるのが実朝事件の後に起きた内裏焼失事件です。「鎌倉殿の13人」ではこれまた一切触れていませんが。

事のあらましは京で源頼茂(みなもとのよりもち)が後鳥羽上皇の命を受けた在京御家人に襲撃されて抵抗、内裏に火を付けたために焼失してしまうという事件が発生したのです。この頼茂は頼朝の挙兵のきっかけにもなった以仁王の挙兵時の大将、源頼政の孫になります。

この事件の原因は諸説ありますが、後鳥羽は鎌倉を経由せずに在京御家人(つまりは直接の指揮権は鎌倉幕府にある)に直接命じて動かしました。このことから、後鳥羽は在京御家人と自身の親衛隊である北面武士、西面武士を合わせた兵力で鎌倉方を倒せるという自信を持ってしまったとも言われています。

義時死後の後継争いの伏線、伊賀の方と義村

義時死後の後継争いもまた粛清劇なのですが、その伏線ともいうシーンが今回登場しました。伊賀の方(のえ)に祖父の二階堂行政が発破をかけるシーンで「三浦義村に相談しろ」というセリフの後、ニヤリと笑う義村というシーン。この辺りまで「鎌倉殿の13人」で描かれるのか分かりませんが、わざわざ伏線を張ったということは伊賀氏の変までやるのでしょうか。一般的には義村は烏帽子親を勤めた北条政村を後継にするという陰謀に加担したが、政子が説得に訪れたため翻意したと言われてます。その後、義村は泰時政権下で宿老になります。

ただ、そもそも泰時の妻は義村の娘です。また、義村の次男は承久の乱の頃に泰時を烏帽子親として元服、「泰」の字をもらって泰村を名乗り、泰時の娘を妻にしています。義村が烏帽子親を勤めたからという理由で政村擁立に加担したというのはいささか疑問に感じるところです。宝治合戦は北条氏の外戚である安達景盛の安達氏と三浦氏の権力争いという側面もあり、勝ち残った安達氏の影響を受けている吾妻鏡の記述をどこまで当てにして良いのかは疑問の残るところです。まあ、その安達氏も北条氏の身内人によって追われるわけですが。

あと2回、義時と鎌倉はどうなるのか

義時に対抗するが如く政子が尼将軍に。そして次回予告からして来週はいよいよ承久の乱のようです。ただ、義時は源平合戦時の頼朝の如く鎌倉から動いていないため、あっさりと行った、勝ったで終わりそう。例の演説シーンがありそうなので楽しみです。ただ、有名な政子の演説ですが、吾妻鏡では安達景盛が代読したとされています。それでは盛り上がらないし、予告を見る限り政子最大の見せ場はちゃんと政子が演説するようです。

さて残り2回。来週は承久の変として、最終回ではどう描かれるのか。義時と政子、義時と義村の関係は?そして義時の死は描かれるのか?それはどういう描かれ方になるのか?と気になる部分が残ってます。毎回、文句とツッコミを書きつつ、この1年楽しんできた「鎌倉殿の13人」もいよいよ最期の時が近づいてきました。