「鎌倉殿の13人」第36回・補足

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源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第36回。今回は流石に見応えがありました。いや、力の入りようがすごかったです。源平合戦より、奥州討伐より、過去最高に力が入っていたのではないでしょうか。鎌倉御家人内の勢力争いに過ぎないのですが。正直、一番力入れるのここなの?という感じです。

義時、覚醒

今回の表の主役は畠山重忠ですが、裏の主役は江間義時でした。すべてを仕組んで思い通りに。始まった頃の小四郎とはもはや別人。ある意味これは頼朝のしてきたことへの呪いでしょうか。頼朝が種を蒔き、時政が育て、畠山の件が最後の駄目押し。

すべてを押し付けられた娘婿、稲毛重成

これまでも北条婿軍団の1人として度々出てきた稲毛重成。時政にいいように使われた挙句、義時には策略に使われと不遇の最期でした。

稲毛というと千葉県の稲毛市が思い浮かびますが、彼も畠山氏と同じく武蔵の名門、秩父氏の一門です。畠山重忠の父、重能と稲毛重成の父、小山田有重は兄弟です。つまり、重忠とは従兄弟同士であり、かつ北条時政の娘婿として義理の兄弟になります。

今回、義時にいいように使われた感がある重成ですが、この構図は以前にも出て来ました。つい先日の比企能員の変の仁田忠常です。山木館襲撃依頼、北条の下で数々の裏の仕事をこなしてきた仁田忠常。曽我事件にも関わり、比企能員を誅殺したのも彼です。しかし、変の後、北条時政によって一族もろとも誅殺されてしまいました。今回の稲毛重成も似たようなものです。頼朝の落馬の件も、重成の亡妻のためにかけた橋の落成供養の帰りとされ、なかなかきな臭いところです。重成も単に時政を嵌めるためだけに殺されたわけではなく、裏事情を色々知ることから仁田同様口封じされたのではないか、と考えたくなります。その辺、「鎌倉殿の13人」ではさらっと流してしまってますけど。

今回初出その1、三浦胤義

今回、時政が畠山重忠と因縁のある三浦一門を呼び出したときにしれっと混ざっていたのが義村の弟、胤義です。どこかでチラッと出たことあったかもしれませんが、字幕が出てたので多分初出かと思います。その三浦胤義とはどんな人物でしょう。

生年は不明ですが、梶原景時の変には名がなく、畠山重忠の変では名が出てくるので、その間に元服したのではないかと言われています。三浦義澄の末子になります。実は太郎こと北条泰時と同年代かやや下になります。おそらく最後のクライマックスになるであろう、承久の変では後鳥羽方の主力となり、他の三浦一門や鎌倉御家人と戦うことになります。時期的に出てくるのは不思議ではないものの、他に出てこない御家人も多いなか、今回登場したのはのちの絡みがあるためでしょう。

今回初出その2、長沼宗政

もう1人、八田知家が稲毛重成の悪い噂を流していた中に登場したのが長沼宗政。扱いとしては他のモブ御家人と同様でしたが、なぜか字幕が1人だけ出ていました。彼はどんな人物なのでしょう。

彼は下野有力豪族、小山政光の次男。小山朝政、結城朝光といった兄弟がいます。「鎌倉殿の13人」ではいまいち影の薄い下野、常陸あたりの御家人の1人です。

で、字幕が出るほど活躍したのか…と言えば微妙なところです。確かに、重忠の変ののち、源実朝との間にエピソードがあるのですが、その程度のエピソードは今までもカットしまくってきた「鎌倉殿の13人」です。今後、宗政のエピソードが描かれるのか分からないのですが、今回字幕を出したと言うことは取り上げるのでしょうか。他に取り上げるべきエピソードは色々あったはずなのですが。その後、それなりに出世しているので活躍がなかったわけではないとは言え、どうも「鎌倉殿の13人」で取り上げる人物の選考基準は謎です。長期的にやや活躍する人よりも、スポットでちょこっと出てくる人の方が、出しやすいのかもしれません。

執権の不思議

「鎌倉殿の13人」では北条時政のことを「執権別当」と呼んでいます。別当とは長官のこと。鎌倉幕府には公式機関として、政所、侍所、問注所があります。このうち、政所と侍所の長官が別当です。問注所のトップは別当ではなく執事と呼ばれています。政所にも政所執事という職があり、これは伊賀の方(のえ)の祖父である二階堂氏が世襲します。こちらの執事はトップではないのは、問注所が扱う土地をめぐる裁判は頼朝時代は頼朝自らが判断していたから、という説もあります。

それはともかく、ある組織の長が別当であるのに対して、執権という組織はありません。ですので、執権別当という表現がそもそもおかしいわけです。「鎌倉殿の13人」では慣例にあえて従わない不思議な表現があり、「畠山重忠」を「はたけやましげただ」と読ませる謎表記と共に意味がわからない双璧がこの執権別当です。

実は政所別当は同時期に複数存在しています。政所別当の初代は中原(大江)広元です。そして、実朝の将軍就任時点で北条時政も政所別当です。この複数存在する別当の中の筆頭が執権である、という説明もあります。その論によれば、ますます執権別当という表現があり得ないことがわかります。何人かいる政所別当の筆頭が執権(つまり1名だけ)なのであれば、その別当って何?となりますので。

この執権、本当にそう呼ばれたのは北条泰時からで、それより前の時政、義時は吾妻鏡が権威付でそういうことにしただけではないか、という説もあります。先の執権=筆頭別当説を取るならば、大江広元と北条時政が共に政所別当であるが、御家人であり尼御台である政子の父であり、武力を持つ御家人である時政が広元より立場的に上になるので「執権」であるとも取れそうです。実際のところどうなのかはよくわかりませんが。

今回、政子に(時政を追い出して)執権になるのか?と問われた義時は「それでは執権なりたさに時政を追い出したと受け取られるので、執権にはならない」と言ってました。実際には少し遅れて執権にはなっています。そもそも、政所別当になれば立場的には執権という扱いになるのは確実ですので、「ならない」発言にはあまり意味はありません。が、「執権別当」の件といい、「鎌倉殿の13人」では執権をどういうものとして扱っているのか今ひとつ不明瞭です。本姓でもない苗字の後に「の」を付けたり、「執権別当」とかいう謎表現をしたり、なんかそれっぽい言葉を適当に使ってればいいっていう軽さが見え透いてしまい、どうも「鎌倉殿の13人」の脚本は好きになれません。まあ、三浦の扱いが軽いのも一因ですけど。

牧氏事件へ

今回、父である時政を騙し討ちし、今後も彼の命に唯々諾々と従うであろう稲毛重成を人身御供として執権、時政の力を削ぐと共に表舞台から退かせることに成功した義時。次週予告では好々爺と思われていた時政の反撃がある模様。もっとも義時にしてやられたとは言え、その原因の8割方は自分で蒔いたものなのですが。

牧氏事件へと向かってこのまま流れ込むわけですが、次回はそこまで行かないような感じです。さて、どんな話になるのでしょうか?