「鎌倉殿の13人」第13回・補足

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源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第13回。今回のメインは木曽義仲。また若輩義時が重要な使者を任されるようです。

今回も歴史観とか無視した面白ければなんでもありのストーリーでツッコミどころ満載でしたので、主に三浦一族の視点で補足していきます。

頼朝以外の源氏達

頼朝の浮気

浮気、ねぇ。亀の前自体は政子よりも付き合いが長いのですが。もっとも、本大河の亀の前は安房の猟師の嫁という訳の分からない設定ですが。

それが故に坂東武者から愛想をつかされるという些か無茶な筋書き。そもそも、八重という存在がいながら政子に手を出した頼朝に今更妾がどうのなんて話が起きるわけがないでしょうに。

まあ、さらに八重の元にまで顔を出して撃退されてましたが。

その頼朝と対照的に物言う舅として男を上げたのが北条時政。後のことを考えると、皆後悔したかもしれません。

源行家

頼朝、義仲から伯父と呼ばれる行家。頼朝にとって祖父に当たる為義の長男が頼朝の父の義朝、次男が義仲の父の義賢、だいぶ離れて十男が行家です。とんだ厄介者扱いです。そこまで嫌う理由があまり劇中では触れられてないような気もしますが、義時や義村からもそのような扱い。

まあ、この時期、頼朝のもとで厄介になっていたのに所領をよこせと頼朝に掛け合って拒否され、義仲の下に走ったとされています。その後、頼朝とは常にいがみ合うことになったので後のことを考えると頼朝が行家を嫌うのはわかるのですが、それはあくまで後世の視点です。そもそも、なんで本大河では頼朝が行家を嫌うのかはよくわかりませんね。以前は会おうともしませんでしたし。強いて言えば、弟義円の死の原因になったからというのはありますが、その前から厄介者扱いでしたし。

その義円については、吾妻鏡では頼朝と面会した記録はないのですが、別の史料では頼朝の命で兵1000を率いて行家の援軍に向かったという話もあります。ただ、史料と言っても物語形式ですし、どこまで真実かは不明です。これが本当だとすれば、援軍として送った義円をみすみす死なした行家は頼朝から恨まれてとうぜんですが、本大河ではサイコパス義経の企みの結果ですし、それを頼朝も知っていますからあまり説得力がないように思います。武将でもない義円に兵を付けて送ったとすれば、それこそ厄介払いか死んでほしかったとも受け取られかねない気がします。

比企の野望

亀の前事件の影響で時政が伊豆に戻った間隙をついて、後に北条と激突する比企氏との確執が動き出しそうです。そもそも、本大河はどこまでやるのでしょう。「鎌倉殿の13人」と言うからには、13人の合議制を行ったとされる頼家のころまでは少なくともやるのでしょうし、義時が主人公なのですから実朝暗殺まではやるのでしょう。一応、承久の乱を経て、義時が死ぬまでやるのでしょうか。

ただ、この時期の比企氏が伊豆の弱小豪族の北条氏を敵対視するかは微妙な気はします。が、弱小北条が頼朝の舅の地位を利用して成り上がることに警戒して、自分も源氏に近づこうと企むのは、まああったのかもしれません。実際、頼家(今は万寿)の正室は比企の一族ですし、義経の正室も今回出てきた比企の一族ですので。

ストーカー義時

主人公義時の八重へのストーカーぶりが目に余ります。一体、何なのでしょうこの茶番は。鎌倉時代は変人ばかりとでも言いたいのでしょうか、三谷氏は。

そんな義時と三浦義村が義仲への使者に。いや、格が低すぎでしょう。まあ、頼朝の弟の範頼が居るからいいのか。ただ、この頃の義時は頼朝の警備を担う家子の筆頭であって、信濃に使者に行くとはあまり思えないのですが。いわば親衛隊ですから、傍を離れちゃいかんでしょう。

で、八重とはいい感じの話でまとめてましたが、いや、ストーカーですから。

さて、肝心の使者の件です。義仲は嫡男である義高を人質に出すことで和解します。これ自体は間違ってはいないのですが、一応、名目としては頼朝と政子の子である大姫の婿という名目での鎌倉入りになります。その説明がごっそり抜け落ちてたような気がします。

抜け落ちていると言えば、頼朝親衛隊の家子の存在が全く触れられていないうえに、登場してもいません。筆頭の義時をはじめ有力御家人の子供や縁者を集めた11人で構成されています。その中には和田義盛の弟義茂とか、義澄の弟で義村の伯父になる義連とか、後の「13人」の梶原や八田の子が含まれています。

トラブルメーカー義経

義時は性懲りもなく義時を信濃に連れていく流れに。が、比企の企みに釣られて鎌倉残留。まあ、行かなくて(義時的には)良かったのでしょうが。まあ、義仲と義経は結局この後の因縁がありますが。今回はあまり義経の変人ぶりを発揮する機会はなかったようです。

亀の前と政子

政子を諭す亀の前。いつ和歌を学んだのか。猟師の嫁じゃなかったっけ?意外と学がある設定なのですね。いや、本来の亀の前はそれくらいの教養はあったかとおもいますけど。

その後の消息は歴史の表舞台では不明ですが、本大河では意外な政子への教師役になったようです。

今回の見どころ

やはり亀の前の身を引く宣言と、そんなんじゃ先が思いやられると思ったのか政子を諭したシーンでしょうか。頼朝自体はどうしようもない人物として悪し様に描かれていますけど。実在したかもわからない八重をいつまでも引っ張る割に、じつにあっさりと亀の前は退場なのでしょうか。前回のツッコミにも書きましたが、亀の前と同様な境遇の女性の伝説が三浦半島には残っており、それによればその後も頼朝は何度も三浦半島を訪れて女性に会い、その女性は頼朝の死後は菩提を弔うために尼になったと伝えられています。

話を戻して、たしかに今の政子は気の強いだけのただのわがまま女にしか見えません。わがままと言うと言い過ぎかもしれませんが、妙に現代的な感じがします。まあ、そういう脚本だから仕方ないですけど。これで少しは御台所の自覚が生まれるのでしょうか。