「鎌倉殿の13人」第8回・補足

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源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第8回。下総から武蔵をへと鎌倉へ。膨れ上がる頼朝軍と、それに伴い目立ってくる隙間風。

そういうわけで今回も主に三浦一族の視点で補足(ツッコミ)を入れていきます。

頼朝へ、頼朝へと草木は靡く

ちなみに、今回は石橋山からの一連のピンチと富士川の戦いの合間で小休止的な話になっているため、あまり書くこともなかったりします。

甲斐と行き来する義時

前回の補足でも書きましたが、この時期、北条義時が頼朝に同行していたと言う記録はない様ですが、今回も頼朝と坂東武者の間で右往左往しています。

ちなみに、和田義盛が畠山重忠とのわだかまりを抱えたままですが、そもそも由比ヶ浜合戦で身内の勘違いで騙し討ちに近いことをしでかしたのは和田側で、その際に畠山勢に被害も出ています。一方的に和田側が畠山を責めるのもややおかしいです。ただ、それは和田側も分かっているはずだと思います。また、畠山と北条、三浦はそもそも姻戚関係があります。重忠の母は三浦義明の娘ですので、三浦義澄と義理の兄弟、重忠の妻は時政と前妻の娘です。まあ、三浦は畠山に隠居したとは言え一族の長老である三浦義明を討たれているわけですが。

そんな和田や畠山、あるいは上総との間を取り持つのが北条義時というのがいかにもおかしく感じました。何しろ、義時は数えで18歳の若輩者です。並み居る武蔵、相模、上総、下総の有力豪族たちに相対するには家格でも劣る上に、年も若すぎます。たとえば、劇中では義時と大差ない感じの描かれ方の和田義盛は16歳も年長です。その義盛のさらに20歳年長が三浦義澄(義盛の父の弟)です。

実際、「鎌倉殿の13人」に義時が入っていること自体が、年齢的におかしいと言われています。他の12人に比べて明らかに義時は若すぎるのです。実際、13人による合議が行われたという記録はないとか。以下に13人の氏名と生没年をあげておきます。不明の人も居ますが、いずれも義時よりも上の世代だと思われます。殆どのメンバーが1140年代以前の生まれで、その中で60年代生まれの義時が若すぎるのがわかるかと思います。

氏名生没年備考
北条時政1138-1215
北条義時1163-1224
大江広元1148-1225
中原親能1143-1209
二階堂行政不明生年は1130年代後半から1140年代くらい
三好康信1140-1221
比企能員-1203息子が頼家の近習なので、生年は1140〜1150年くらい?
和田義盛1147-1213
梶原景時1140?-1200
足立遠元不明生年は1130年代前半と言われる
三浦義澄1127-1200
八田知家1142-1218
安達盛長1135-1200
13人と生没年

それを言うと、その義時よりもさらに5歳くらい年下の三浦義村があんなに活躍するのもおかしいです。三浦義村は確かに鎌倉幕府がピンチの時に色々知恵を出したことが記されていますが、それも後のこと。三浦義村が吾妻鏡に登場するのは劇中から2年後です。

この頃の北条は伊豆の小豪族です。頼朝の嫡子である頼家の乳母に北条家が入れなかったことからしても、この頃の北条家に力はありません。義時が歴史的に表に出てきたのは劇中の翌年、頼朝警護の親衛隊の筆頭になってからです。

早くも大庭を見限る梶原景時

え、もう、見限っちゃうの?と驚きです。実際に梶原景時が頼朝に降るのは富士川の戦いで平家が惨敗し、大庭景親が処分された後の話です。それも北条ではなく、土肥の仲介です。ここでも相変わらず北条贔屓の様です。

さすがに今回は頼朝に目通りしたりはしなかったので、後々話を史実に合わせるのでしょう。なんにせよ、頼朝が石橋山で敗れて山中に籠っている時から、居たはずの人が居なかったり、居なかったはずの人が居たりするのが当たり前の本作。まあ、面白ければなんでもありなのでしょう。

上総の漁師の娘にされた亀の前

前回から登場している亀さん。上総の漁師の娘とか義村に言われていました。が、実際には吾妻鏡に伊豆時代から頼朝に仕えていたと書かれています。ですので、少なくとも上総の漁師の娘ではありません。それどころか父親もわかっており「良橋太郎入道」の娘とされています。もっとも、劇中で亀としか呼ばれておらず、2年後に登場する亀の前とは別人物です、とかいうウルトラCが…ないですよね?それはともかく、良橋太郎入道という人物自体はよくわかっていないです。頼朝が伊豆に流されたときについてきた家臣ではないかと言われている様です。

また、鎌倉に呼ばれたのは劇中の2年後のことだとも書かれています。そして吾妻鏡に「容貌優れ柔和な性格」と描かれています。本作では、失礼ながらあまり容貌優れた感じではないように見受けられます。これもまた北条贔屓の賜物でしょうか。何しろ亀の前は反北条方ですので。正確には亀の前自体は別に反北条でもなんでもないのですが、後に亀の前の存在によって頼朝と時政の間にトラブルが発生することになります。

吾妻鏡を公然と無視する「鎌倉殿の13人」

鎌倉時代を知る上で避けては通れないのが吾妻鏡です。これ自体は、頼朝の死後どころか、本作の登場人物がほとんど死に絶えた鎌倉後期のものであり、義時を祖とする北条得宗家に都合の良いように書かれているものではあります。が、幕府の公式記録に準じるものであるため、北条の関わらないところではそれなりに事実が書かれているとされる鎌倉時代随一の資料でもあります。

その吾妻鏡を無視するような形でおかしな話を次々と盛り込んできているのが本作です。もちろん、吾妻鏡は北条得宗の正当性を裏付けるための資料でもあるので、その後の研究で「ここは盛っている」という部分も多々あります。

ただまあ、本作の主人公である北条義時の不利益になるようなことはそもそもあまり書かれていない吾妻鏡すら殊更無視して話を盛っているのはよく分かりません。別に吾妻鏡では描ききれていない部分を盛るのはドラマである以上はむしろ当然とも言えます。が、明らかに書いてあり、別に北条に都合よく書き換えていて、研究で否定されている部分でもなんでもない部分を書き換えてます。

なんか変な鎌倉時代感を作ろうとしているのなら、このドラマで鎌倉時代の面白さが伝わると考えたのがぬか喜びに終わりそうで複雑な気持ちです。