鎌倉殿の13人」第44回・補足

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源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第44回。今回で実朝暗殺事件まで進むのかと思いましたが、前夜から直前までの足掛け2日で終わってしまいました。というわけで、次回でいよいよ事件当日。なんか、承久の乱はあっさり済まされそう。いよいよ物語も終盤。例によってツッコミを入れていきます。

全てを知ってしまった実朝と公暁のすれ違いからの悲劇へ

前日譚では悲劇を避けるべく動きはあったものの、結局は全てすれ違い。そして、源仲章が絡んだことで決定的に。なんか、和田合戦もそうだし、畠山重忠の件もそうだし、何なら比企の乱もそうでした。なんか、同じことの繰り返しですね。

大江広元の役割が北条泰時へ

三浦の動きを察した北条泰時は源実朝に鎧(腹巻)を着ることを勧めます。しかし、それを実朝は拒否。この件、実は泰時ではなく大江広元の逸話です。吾妻鏡にある話で、大江広元が号泣して鎧をつけるように勧めたのですが、源仲章によって止められたとあります。まあ、例によって吾妻鏡の話なので、どこまで信じてよいのか微妙なのが困りどころ。なお、実朝は最後に広元を呼んだとされていますが、この分では太郎を呼びそうです。

参列していたのに兵を率いる太郎泰時

三浦の動きに備えて兵を率いて待機している北条泰時。しかし、彼は吾妻鏡によれば父、義時と共に拝賀式に参列しています。あんなところで鎧を着込んで待機しているのはおかしいですね。なお、三浦義村は参列していませんが、子の朝村が参列しています。

北条義時の動向

「鎌倉殿の13人」では放った刺客が捕まり、仲章によって大刀持ちの役目を取って代わられた、ということになりそうです。そのあたりははっきり描かれなかったので、次回待ちですけど。

では、実際のところどうだったのか。実は幕府公式の吾妻鏡と、京の慈円による愚管抄では記述が異なります。

吾妻鏡

御所を出た時点では参列していたが、八幡宮まで来たところで体調不良を訴える。そして、太刀持ちを源仲章に役割を譲った。

愚管抄

義時は実朝の命令で太刀を捧げたまま中門で待機。本宮には同行しなかった。源仲章は松明を持って実朝を先導しており、義時と間違われて殺された。

実際のところはわからないわけですが、義時は執権という立場もあり、当日の警護責任者とされています。先日のNHK「歴史探偵」の実朝の回でも責任者である義時が体調不良で帰宅するのはあり得ないとされています。まあ、あり得ないといっても本当に体調不良ならば、役割を誰かに変わるべきではありますけど。

それはともかく、たとえ実朝の命令でも近くに控えていた責任者の義時の目の前で実朝が暗殺されたとあれば義時の失態には違いないので、義時が体調不良で帰宅したということにしたのではないか、という話があります。ただ、それもちょっとおかしいのも確か。太刀持ちの役目は官位的に源仲章に譲るとして、自身が体調不良で役目が果たせないのであれば、御家人の誰か、正確には北条氏の誰かに後事を託さないわけがありません。そうなると北条時房がその候補の筆頭でしょう。あとは北条泰時ですが、流石にまだ責任者にはできないでしょう。そうすると、どのみち北条氏の失態ということになってしまいます。まあ、時房は得宗家ではないので彼に責任を負わせるというのもありなのですが。

なお、どちらの話にしろ、御所から八幡宮までは義時と仲章は共に参列しています。ですので、「鎌倉殿の13人」の描写はあり得ないことになります。

実朝事件の真相は?

愚管抄は鎌倉から離れた京の慈円が書いたと言われています。ただ、実際にその時代に参列した公卿から聞いた話とされています。一方、吾妻鏡は北条得宗に都合の悪い話は捻じ曲げる上に、そもそも事件から80年後にまとめられた話です。

仮に吾妻鏡の通り、義時が体調不良で帰宅したとしても、誰かに後事を託すはず。源仲章は政所別当ではありますが、侍所とは関係がないよう。警護の役目を引き継ぐとしたら当然同じ北条氏で義時の弟である時房でしょう。太刀持ちも当然時房に託すのが自然。それを仲章に託した挙句、その彼が義時と間違われて殺されたというのはいくらなんでもできすぎです。

無理やり吾妻鏡の話と愚管抄の話をすり合わせるなら、責任者である義時が体調不良で抜けるなんてことは、さすがに公卿たちには告げられないかな、とは思います。ですので、多少不自然でも「実朝が命じて待機させた」ということにしたというのもないこともないかな、とは思います。結果、仲章が討たれた訳で、事情を知らない公卿たちからすると「先導していた仲章が間違って殺された」というストーリーになったというのもありうるのかな、と。

そういう意味では、最近の主流であるらしい単独犯行説で通すというのもアリだったのでは?とは思います。番組の歴史考証の坂井氏も単独犯行説ですし。ただ、そうすると義時の関与が薄くなりすぎて、義時をメインとした話の中ではドラマとして成り立たないのかな、とは思います。それに、結果だけ見ると義時が全く関与していなかったというのもあり得ないと思ってしまうのも確かです。

信心が足りないと言われた義時と白い犬

今回の開始早々の白い犬と義時の意味深なシーン。これもちゃんと元ネタがあります。今回出てきた薬師堂はのちに覚園寺(かくおんじ)という寺になります。この寺の話が吾妻鏡にもありますが、事件の1年前に実朝の八幡宮参拝に付き従った後、戌神が夢に現れて来年の参拝には供をするなと告げたとされています。義時は驚いてあの薬師堂を建てたと言われています。寺の縁起では義時は信心深かったとされています。まあ、流石に開基の発端になった人を信心が足りないとは言わないでしょう。

で、義時が体調を崩したという話にも戌神が絡んでいます。参列中に白い犬を見て気分が悪くなった、というのです。それで、仲章に代わってもらったが、その結果仲章は義時と間違われてしまう。白い犬の神様が救ってくれたに違いない、めでたしめでたし。という筋書きです。

まあ、当然、そんな都合のいい話はなかなかないですよね。この実朝暗殺事件で一番得をしたのは誰かと言えば、北条義時。目の上の瘤の実朝と、政敵の仲章を同時に排除できたのですから。

来週また白い犬が出てくるかわかりませんが、今回の仲章とのやりとりを見る限り、出番はなさそうです。

十二神将は揃っていた

今回の話では十二神将のうち戌神だけが間に合って鎌倉に届いたとされています。が、実際には薬師如来と12体の十二神将、合わせて13体の仏様がすべて揃っていたそうです。

で、実朝事件の後、義時がお礼に薬師堂に詣でます。その時、戌神だけが堂内になく、白い犬の姿になって義時の前に現れたのではないかというお話です。その辺の話がまったく変わってしまっています。大体、薬師堂なのに薬師如来像もなく十二神将のうちの1体しかないのでは、薬師堂の意味がありません。事件の前に全ての仏様が揃った状態でちゃんと開堂供養を行ったと記録に残っています。

まあ、予算の都合でしょうかね。

なぜ阿波の局の子が鎌倉殿になれないか

ところどころで阿波の局(実衣)が「うちの子は?」と問うては周りに却下される阿野時元。なぜ却下されるのか。それは阿野氏は御家人だから。例の腰越状でも義経が源を名乗って頼朝の怒りを買いました。一度御家人の地位になれば、たとえ頼朝の弟の子としても鎌倉殿にはなれないわけです。まあ、それこそ実朝が養子なり猶子になれば別かもしれませんが。

鎌倉最大のミステリーとも言われる実朝事件の曖昧な描写

何となく話を作ってますが、さてどういう顛末にするつもりなのか。実朝が実は御所を西に移そうとしていた、なんて話をぶち上げましたが、もちろん根拠はありません。

また、三浦義村もどう動くつもりなのか。ちょっと気になるのは、泰時が三浦館を訪ねた際には「若君(公暁)に今日の襲撃は中止と伝えろ」と言っていました。それが公暁に伝わったのかどうなのかの描写は一切ありませんでしたが、ラストの方では弟の義胤に対して「若君(公暁)が本懐を遂げるまで動くな」と言っています。つまり、襲撃は中止という指示をいつの間にか取り消したことになっており、矛盾が生じています。これはどういうことなのでしょう?

実朝暗殺については、昔はさまざまな黒幕説が取り沙汰され、議論されていました。しかし、最近では公暁単独説が優勢だそうです。「鎌倉殿の13人」の歴史考証をしている坂井氏もその一人。「鎌倉殿の13人」としてはどういう筋書きにするのか気になります。