「鎌倉殿の13人」第11回・補足
源平合戦の時代〜鎌倉幕府成立の時代を描く大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も第11回。鎌倉での体制固めが続く中、集結する頼朝の弟たち。そんな中、平清盛が亡くなり、頼朝の叔父の源行家が頼朝の元にやってくる。
今回も歴史なんかどうでもいいというノリで、相変わらずツッコミどころ満載でしたので、今回も主に三浦一族の視点で補足していきます。
今回も史実無視のオンパレード
まだまだ引っ張る八重
何回も書いていますが、実在しなかったかも知れない頼朝の最初の妻?八重。頼朝との子が亡くなった後の消息は不明ですが、本作では三谷氏の琴線に触れたのか未だに登場し続けています。次回も登場するようです。
冒頭のギャグパートで自信たっぷりの義時を見てフラグを立てたと思ったのですが、案の定キッパリと断られました。まあ、消息不明の八重ですから、当然、北条義時の妻にも三浦義村の妻にもなっておりません。
もっともこの辺りの話は今回の「許されざる嘘」に比べれば大したことでは最早有りません。
性格悪い義経と梶原景時との因縁
前回の変人ぶりも大概だった義経、今回は同腹の兄の義円に嫉妬して義円が行家に同道するように勧め、預かった手紙を破り捨てるという行為に走ります。これはもう変人とかいう以前に根性が捻じ曲がってます。兄である頼朝に人間を磨けとまで言われてしまいます。まあ、当の頼朝も石橋山敗戦後に癇癪を起こして舅の北条時政にはんば見限られていましたが。
北条得宗家寄りで有名な吾妻鏡ですら義経には同情的だったというのに、なぜか悪意まで感じる三谷脚本。まあ、北条と言うか坂東武者とは相容れない存在ではあるので仕方ないですが、いっそ可哀想になってきます。「判官贔屓」という言葉がある通り、日本人はわりかし義経(判官とは九郎判官、つまり義経のこと)が大好きなのですが、そういう層に喧嘩を売るような大胆な解釈です。
その義経の悪行を見つけて報告するのが梶原景時というのもまた意味深です。一般に判官贔屓の日本人はその仇役に当たる梶原景時には厳しいです。まあ、実際問題、彼は与えられた役目を忠実に真面目に果たしただけで、よく言われたような讒言ではないという解釈が最近では増えてきています。その景時が義円について讒言をしようとして等の景時に暴かれるというのはこの先の伏線か何かでしょうか。
行っていない鎌倉で出会う行家と義円
前回の時に書いたように、義円が鎌倉で頼朝に会ったという記録はないようです。そもそも、今回鎌倉に顔を出して頼朝に門前払いされた行家も鎌倉に再度訪れたという記録はなさそうです。
それというのも、作中では行家が現れたのは清盛の死後です。清盛が亡くなったのは閏2月4日。平重衡の征東軍が出陣したのが同15日。行家、義円が墨俣川の戦いで敗戦したのが翌3月10日です。
頼朝と行家は以仁王の令旨を行家が頼朝にもたらした際に決別しています。また、そもそも墨俣川の戦いの前に源行家が尾張で勢力を伸ばしたために平宗盛が征東軍を率いる予定が清盛の死で延期されていたそうです。つまり、行家は拠点としていた尾張に平家軍が派兵するかも知れない時期に当人が拠点を離れて鎌倉に来ていたことになります。いや、そんなことしている場合ですか?というのが率直な感想です。
伊東祐親の最期
これまた不可解な死を遂げさせられた伊東祐親、祐清父子。なんか、哀れに感じます。
吾妻鏡に寄れば、祐親は許されたものの自らの行いを恥じて自害したとされています。まあ、作中でも「自ら自害した」という筋書きを梶原景時脚本で立てましたので、一応、史実とは矛盾しないと言い張ることは可能です。
問題は次男、祐清です。祐清については祐親の自害後、頼朝に願い出て止むを得ず誅殺されたと吾妻鏡には有ります。つまり、祐親の死後に自害ではなく誅殺されたというのが伝わっている話です。が、なぜか雑に祐親とともに善児に殺害されてしまいました。善児に銘じて頼朝の子を殺させたのは祐親ですから、因果応報という筋書きでしょうか。
もっとも、その吾妻鏡にしてからが、祐清については不可解な記載があります。なんと別の章では頼朝を助けたことで恩賞を与えようとしたが父である祐親が頼朝の敵であるため辞退し、暇をとって平家方に加わり、倶利伽羅峠の戦いで戦死したという記載があります。吾妻鏡が書かれたのはだいぶ後のことですので、北条得宗家に都合の良い話を書き連ねているうちに混乱したのかも知れません。
意図が読めない全成の思惑
前半では政子の妹に激しく自己アピールするのが微笑ましい頼朝の弟である全成さん。しかし、後半は打って変わって、何を思ったか非業の死を遂げた頼朝の子が成仏していない、とか言い出します。それがきっかけとなって、その場に善児の件でたまたま現れた梶原景時と頼朝の共謀で頼朝の子の死の原因であるところの祐親誅殺の筋書きが進むことになります。それもよりによって実行犯の善児がまた実行犯という。そこまでは景時も知らなかったかも知れませんが(でも、善児の存在を知っており、その役割も察していたでしょうから、なんとなく察していたとは思います)。
正直、全成がなんでこんなことを言い出したのかがよく分かりません。政子が伊東方に襲われた場面に居合わせた際もさも法力か何かあるような素振りを見せつつ、「今日は調子が悪い」で済ませたお調子者の全成さん。九郎義経の義円に対する行為はどうかと思いつつ、その動機については察しがつきます。が、全成さんがなぜこんなことを言い出したのか。
もちろん、彼自身はこれが伊東祐親、祐清父子の誅殺に繋がるなんてことは夢にも思っていなかったのでしょう。お調子者であるが故に、あまり自分の発言が及ぼす影響や先のことを考えずに、彼なりの善意で非業の死を遂げた頼朝の子を成仏させてあげたいと思ったのかも知れません。
果たして「許されざる嘘」とは?
11話のサブタイトルは「許されざる嘘」です。その嘘とはどれのことでしょう。一番に思いついたのは義経の義円に関する嘘です。そして、上にも書いたように全成の成仏できてない発言。まあ、これは嘘なのかもどうかも分かりません。本人はそう信じていたのかも知れません。
ただ、本作の主人公である義時の最後の怒りっぷりを見るからに、これは頼朝が景時と共謀して祐親、祐清父子を誅殺したのに自害したと公表した嘘及び、一度は助けると決めたことを覆して結果的に嘘を言ったことになったことでしょうか。ただ、公表された「嘘」自体は祐親の立場を守っているのですが。
あるいはこれら全ての嘘すべてなのかも知れません。
ただ、個人的には歴史に対する嘘を重ねる三谷脚本が一番「許されざる嘘」と感じます。歴史上曖昧な部分や特に描かれていない部分に「盛る」こと自体は別にとやかくは言いません。ただ、本作は主人公である北条義時やその家族を持ち上げるための「嘘」が度を過ぎているように感じます。義時や北条家を持ち上げるために他、特に後に北条に敵対するものを貶める「嘘」で塗り固める。その犠牲となった義円や全成、伊東父子が哀れに感じます。
さて、次回は亀の前事件であると予告されています。伊豆の流人時代から頼朝に仕えていたとされる亀の前をなぜか安房の漁師の嫁にし、性格も柔和とされているのに八重絡みで暗躍する亀の前。しかも彼女が鎌倉に呼び出されたのは事件の直前です。が、なぜかその1年以上前から鎌倉にいます。
彼女もまた三谷脚本の嘘の犠牲者です。次回の亀の前事件は今回、夫である時政の処遇にご不満の後添い、りくやその前に登場したりくの兄、牧宗親も絡んだ話です。実際、処遇に不満も何も、北条時政も義時も御台所政子の縁者というだけで、目立った功績はありません。富士川の戦いでは甲斐源氏と行動を共にしており、石橋山以後富士川の戦いまでに北条父子の功績はありません。本作では居ないはずの義時が上総介広常を説き伏せますが。
その後の常陸の佐竹討伐でも目立ったのは上総介広常、千葉常胤、三浦義澄らであり、北条父子の目立った話はありません。北条得宗家に甘い吾妻鏡で何も触れていない以上、本当に特に目立った功績はないのかと思います。あれば鬼の首を取ったように触れ回るのが吾妻鏡ですから。
ですので、挙兵以降の論功行賞で頼朝が時政や北条家を重視しないのは当然なのです。兵力的にも当時の頼朝軍の主力は上総介広常の兵であり、大した兵力もない北条家に功を立てるような力がそもそもありません。まあ、それでりくが納得するかは別問題ですけど。
時政と頼朝がぶつかることになる亀の前事件を、はてさてどんな嘘で塗り固めるやら。亀の前の消息も、時政のその後の行動も、吾妻鏡の該当部分が欠文のために不明とのこと。つまり、三谷脚本でいくらでも盛れるわけです。
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